上智大学で、「死の哲学」を講じた、アルフォンス・デーケンさんは、先生と呼ばれるより、「さん」と呼ばれるのを好まれて、夜間講座に1年間通った私も、『デーケンさん!』とお呼びしたのです。
ユーモアーを、「にもかかわらず笑う」という風に言われ、デーケンさんは、次のように講義されたのです。
『このユーモアは、もともとラテン語の“液体”から由来し、人体の中の体液を意味する医学的な概念でした。中世の医学者たちは、この体液が生命の源泉の本質であり、その流れが人体に活力を与え、創造的な力となって生命を満たして補い、人間を活かしているのだと考えたのでした。
最近、ユーモアと健康には密接な関係があるとして、各国の医師がユーモアや笑うことの重要さを強調しています。ユーモアと健康に関する考えを広めたのはアメリカのノーマン・カズンズです。
彼は膠原病にかかり、自分の病気の原因の一つは、自分の否定的な考え方にあると気づきました。そこで積極的な感情が病気の回復に役立つと確信したカズンズは、コメディ映画を見たり、ユーモアの本を読んだり、よく笑うことによって病を自ら治したのです。
彼は『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)の中で、笑いという薬が自分に大量に投与されると積極的な気持ちが生まれ、化学的な変化が起こって、肉体の回復にも大いに役立つ。10 分間腹を抱えて笑ったら、麻酔をかけられたようになって、痛みを感じないで眠れた、と書いています。私たち人間は、いのちを輝かせて生きるためにユーモアを再発見しなければならないと思います。』
デーケンさんは、
『私は上智大学で 30 年間「死の哲学」を教えてきました。当時、日本では「死」をタブー視していて、誰も教えていなかったのです。ですから「死」の講座を提案した時、「それはやめた方がいい。学生は誰も受講しない。」と言われました。しかし私は頑固なものですから、周りがNo と言ってもWe can と言って開講し、多くの学生が毎年学びました。
私たちの命がいつかは終わるということを無視できません。ですから私は、「死への準備教育」は同時に Life Education(=よく生きるための教育)だと強調しています。
大抵の人は「死」と聞くと、「肉体的な死」を考えるようですが、私は死を「心理的な死」「社会的な死」「文化的な死」「肉体的な死」の4つの側面に分けて考えています。例えば、親が入院してもう長くないというとき、子どもが多忙を理由に病院に来なくなる。この親御さんは肉体的な死を迎える前に社会的な死を味わっています。親が亡くなるというとき、子どもがそばにいることは当たり前ではないでしょうか。
私の母国ドイツでは、Sterbebegleitung(=末期患者と共に歩む)という言葉がよく使われます。死に直面している最期の段階では、治療、つまり何かdoing(=すること)はできません。しかし、誰かがそばにbeing(=いること)がとても大切になります。死に逝く人は、孤独なうちにひとりで死ぬのではないかというような恐れを抱いています。ですから私たちは、寄り添う“being”を大切にしなければならないわけです。
哲学者キルケゴールは、「Der Helfer ist die Hilfe.」(=救(たす)け人自身が救(たす)けである)という文章を残しています。私たちは普通、たすけるというと、相手のために何かをすることだと考えます。しかしキルケゴールは、終末期にある患者にとって、救け人、心温かなそばにいる人自身が救けだと言っています。』
そうおっしゃっています。また、デーケンさんは、
『わたしはずっと「生と死を考える」ことをライフワークとしてきました。生きるとは、「日は昇り、日は沈む」、その繰り返しでした。しかし、天のふるさとに行ったら、わたしが仰ぎ見るのは、もう昇ったり沈んだりしない太陽です。それは神さまの御顔(みかお)なのです。死を通って天のふるさとに行くことこそ、美しい冒険なのだと思います。』
四ツ谷駅で電車を降りて、あんなに弾んだ思いで学んだ日々は、そう多くありませんでした。それはデーケンさんの人格的な輝きが、人を惹きつけたからなのでしょうか。同じ学校で、学長までなさった、デーケンさんの一世代前のヘルマン・ホイヴェルス氏が、詠まれた、「最上のわざ(3月26日に記載済み)」の一編の詩も、驚くほどに輝いていて、老いを生きる者への応援歌のようでした。
(“いらすとや”のほがらかな青年、“ウイキペディア”のドイツ料理です)
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