真間の手児奈とエフタの娘

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 JRの錦糸町駅か御茶ノ水駅で乗り換えて、JR総武線が千葉県に入りますと市川駅があります。千葉県市川市の主要駅で、歴史に名高い「真間(まま)」と呼ばれ、万葉集にも詠まれた場所があります。律令制のもとに、下総国の国府が置かれた地なのです。どこの国府にも、その近くに国庁、それに添うように、国分寺や国分尼寺が置かれ、大和朝廷の威光を示したのです。これは高橋虫麻呂の詠んだ和歌です。

勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ

 この地に美女伝説が伝えられていて、「真間(まま)」と呼ばれた地に、絶世の美女だったのでしょう、「手児奈(てこな)」がいました。遠く奈良の地にも伝えられたほどの女性で、美人薄明なのでしょうか、若くして亡くなったと伝えられています。いつの時代も同じなのでしょうか、手児奈の家には、いつも会ってみたいと願う、若たちの「追っ掛け」が集まるほどだったそうです。

 最初の職場に、機関紙の編集をしていた方いて、その方が、この市川に住んでいました。自分が仰せつかった一欄に、原稿を書いて載せる務めをさせていただいて、原稿を持って、出掛けたのです。よく面倒を見てくださった方でした。この方の住まいの近所に、「手児奈の井戸」、「真間の井戸」があって、手児奈は水汲みに来ていたのです。その頃合いを見計らった若者たちが集まる、「真間小町」だったそうです。 

 海に近かったせいで、この地のどの井戸水も、塩気を含んでいました。ところが、ここの井戸だけが真水を湛えていたのです。満月のように輝く美女の登場の頃合いには、水汲みの女性だけではなく、息子に嫁にと望む親たちも、その中に混じっていたそうです。それで争いも絶えなかったのです。

 『どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。』と言って、手児奈は海に放って入水自殺をしてしまう、そんな伝説が伝えれていたのです。手児奈を哀れに思った人たちの手で葬られ、「真間の井戸」の近くに「霊堂」が建てられています。

 市川駅を電車に乗って通過すると、その話を思い出すのですが、どうも日本には、そう言った哀れな話が多そうです。実は聖書にも、一人の女性の悲しい話があって、思い出してしまいました。

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『エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、 私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」 こうして、エフタはアモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。 ついでエフタは、アロエルからミニテに至るまでの二十の町を、またアベル・ケラミムに至るまでを、非常に激しく打った。こうして、アモン人はイスラエル人に屈服した。 エフタが、ミツパの自分の家に来たとき、なんと、自分の娘が、タンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに7出て来ているではないか。彼女はひとり子であって、エフタには彼女のほかに、男の子も女の子もなかった。 エフタは彼女を見るや、自分の着物を引き裂いて言った。「ああ、娘よ。あなたはほんとうに、私を打ちのめしてしまった。あなたは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」 すると、娘は父に言った。「お父さま。あなたは主に対して口を開かれたのです。お口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから。」 そして、父に言った。「このことを私にさせてください。私に二か月のご猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、私が処女であることを私の友だちと泣き悲しみたいのです。」 エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちといっしょに行き、山々の上で自分の処女であることを泣き悲しんだ。 二か月の終わりに、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。こうしてイスラエルでは、 毎年、イスラエルの娘たちは出て行って、年に四日間、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うことがしきたりとなった。(士師11章30~40節)』

 軽率な誓いをしてしまった父親の悲劇の物語です。エフタは、「遊女の子」(士師11:1)だ、と聖書は紹介しています。それで彼の民から軽蔑され、見捨てられます。なんとならず者たちと行動を共にするのです。そんな人も、軍の将として推挙され、士師に召されます。ギャングでも非行少年でも博徒でも、神さまの愛の対象です。要は《悔い改め》があれば、どんな背景であって、民の指導者に推挙されもしたのです。

 エフタには、結婚前の一人娘がいました。出陣する際、『敵に勝利して無事に帰って来た時には、最初に家から迎えに出た者を犠牲としてささげます!』とエフタは、神さまに誓いを立てしまいます。感情のコントロールは信仰者には不可欠です。エフタは、とてつもないダメージを負うのです。何としたことか、敵を退治し、家に帰った彼を、エフタの娘が、戸口から飛び出し、迎えたのです。

 神に立てた誓いは必ず果たさなければならない、それがイスラエルの掟でした。娘も、そのことは十分に承知していました。そこで彼女は、2か月間、友人たちと共に山で、嘆きの歌を歌った後、父の誓った通りに命をささげました。どんな間違いを犯して、取り返しがつかなく、愛する娘を亡くした悲しさで、生きなけれはなりません。エフタは6年間、神の民のイスラエルを、士師(指導者)」として導いたのです。

 手児奈は、自ら自分の命を断つのですが、エフタの娘は、父が神さまへの誓いを果たすことに、あがらうことも不満を示すことも無く、神の前に死んでいきます。イスラエルの社会、とくに古代イスラエルの女性たちは、毎年4日間、このエフタの娘の悲運を悼んで集うという伝統的な慣習を実行していくのです。

 一方、父親のエフタを、新約聖書では、次のように記すのです。

『これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。(ヘブル11章32~35節)』

とありますように、イスラエルの信仰者の列伝の中の一人として、あのダビデと並んで取り上げられているのです。軽率であったのは、私たちも同じことで、誓いを果たせない者であるのではないでしょうか。私には、エフタを裁くことはできません。辛い星のもとにあじわった、「男の悲しみ」が、よく分かるからです。でも人は、どんな境遇があっても、生きなければならないのです。いのちの付与者がおいでなのですから。

(ウイキペディアの市川市の市花のバラ、エフタの娘です)

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