『謝謝!』、これは中国語の『ありがとう!』で、最も有名な中国語です。スーパーの無料送迎バスに乗って、降りる時に、運転手さんに、そう小声で言うのです。そう言われた方は、ほとんど無口、無反応で聞き流していましたが、繰り返しているうちに、『慢走啊!』と返してくるようになりました。つまり、『お気をつけて!』と言う意味の祝福なのです。
これはバスだけではなく、こちらで生活をしていて、謝意を言い表す機会がある毎に、私が心掛けていることなのです。こちらでは習慣的に、いちいち、そう言ったことを言いません。『そんなこと言ったら、バカにされるだけ!』と言われますが、言われれ慣れていない相手ですが、必ず嬉しい表情をするのです。もし日本の社会が、<潤い>があるとするなら、この謝意や礼が、日常的に言葉や態度で言い表されているからに違いありません。
最近、こんなことを思っているのです。帰国して、街の銭湯に入る機会があったら、下湯を使って、湯船に入る時に、『冷えもんでございます。失礼します!』と、湯船に先に入っておいでのみなさんに言おうと思っています。昔の大人は、そう言って、<和やかさ>を醸し出して生きていたのだそうです。これって卑屈なのではありません。争いを避けるためでもありません。日本人が学び取った<知恵>に違いありません。
こちらでは、広い国土にもかかわらず、道すがら体がぶつかり合うこともあります。上手に避け合っているのですが、たまにぶつかってしまいます。ほとんどの場合、無言ですが、ある時は<舌打ち>とか『痛い!』が聞こえますので、その前に、『対不起(ごめんなさい)』と言います。こちらの方は、日本人のように『気をつけろい!』などと決して言いません。相手の行動を注意したりしないで、事実の<痛さ>だけを言い表すのです。これも<知恵>です。
名古屋にある大学の心理学の先生が、こんなことを言っていました。『若者の行動を注意してはいけません。そう言われると感情が傷つくのです。だから、<事実>だけを言うべきです!』とです。この時代の切れ易い、動物的な反応をする若者(この先生の言うことですが)に、そう接するための<知恵>であります。事実は否定できず、認めるだけですから。これって、争わないため<知恵>ではないでしょうか。
(写真は、以前日本女子サッカーが示した「謝謝」➡︎百度より)