日本の山に、「駒ケ岳」と呼ばれる山が、20もあります。例えば、甲斐駒ケ岳、秋田駒ケ岳、木曽駒ケ岳、会津駒ケ岳などです。これって、「駒」が「馬」のことであることから、馬に似た山容を見せていて、そう命名されたのだろうとしています。また「独楽(玩具のコマ)」に似てるからとも言われるのです。さらに、ある民俗学者は、他の説を主張しておいでです。
この駒ケ岳の「こま」ですが、日本語の中には、山だけではなく、他にも使われているのです。例えば、狛、高麗、巨摩、独楽などの漢字表現があります。よく地名などに用いられているようです。東京には駒沢、駒場、駒込があります。駒口、駒山、狛江、狛犬(神社の門前の左右に対になって置かれている石像)、高麗人参、北巨摩、南巨摩、佐世保独楽(郷土玩具)などがあります。
これらの地名、山名、物産名 地域名、玩具名などの呼び方の元は、「高麗(こうらい/こま)」に由来していると、宮本常一が推論しています。そうです、朝鮮半島に、紀元900年代に起こり、高句麗、百済、任那、新羅などを統一し、474年間も統治し続けた国の名なのです。この「高麗」は、五世紀ごろには、そう呼ばれ始めていて、「高句麗」と関係があります。民族的に言いますと、渡来によって、漢族と満州族(女真族)と土着の民とによって形成されているそうです。
その「高麗」から渡来した人たちによって、日本の文化や産業が形成されていると言うのが、大方の定説です。そうしますと、日本に帰化した朝鮮半島の人々が、古里の地名に因んで、さらには古里を懐かしんで、望郷の思いから、地名や物の名に「こま」を当てたのだと言うのです。そうだとするなら困らないで好いのです。
戦乱を逃れて、中国の東北部から、朝鮮半島へ、さらに海を渡って日本列島に渡来した人が、混交しながら、主な日本人を形成し、文化も稲作も機織りも、その流れの中で伝わったのでしょうか。上海から東シナ海を渡り、五島列島、玄界灘、瀬戸内海を経て、大阪の間を結ぶエンジン機関船で何度か行き来をしました。はるか昔は、大型の丸木舟に帆を上げて、危険の中を島から島へと渡来して来たのでしょう。大変だったろうと思うのですが、何か「古代の浪漫」を感じてしまいます。そう言った人たちの末裔が、私なのだからです。
(写真は「高麗青磁(yahooより)」、下は「満族の子どもたち(満州写真館より)」)