最近、この街のテレビ局に勤務される方とです交わりの時が与えられています。先日は、ご夫婦で、わが家に見えられて、一緒に食事をしました。小さなお子さんがおいでで、奥様は、学校の事務や管理をなさっていらっしゃるそうです。お二人ともしっかりと社会人として生活をされていらっしゃいます。
ご主人のお話ですと、テレビの業界が、少しずつ斜陽化傾向にあるのだそうです。というのは、“スマートフォン”の出現と、その隆盛に圧されて、放送の広告主がつかなくなってきている様です。新聞もテレビも、情報媒体として、取って代わられる時がくるのではと、危惧されておいででした。テレビ局勤務は、どこの国でも、若者たちの憧れで、「花形」の職種だったのですが、今では、そうではなさそうです。
そういえば、何かのイヴェントが開催されたり、また事故や事件が起きて、テレビ局の取材陣が現場に駆けつけ、到着してから資材を準備している間に、スマホで撮られた動画や経緯のコメントは、即時に配信されて、国中に、いえ世界中に拡散されて行っている時代なのですね。情報は、即時的に伝えられてしまっていることになります。
交通機関の遅れなどが、どこで起き、どれほどの遅れがあるのかが、会社から広報される以前に、現場から情報が配信され、代替交通機関や回り道などをどうするかが知らせられているのですから、昭和のおじいさんは、『もうついていけないなあ!』と思わされている有様です。
そうなると、正確で信頼できる情報と、そうでないものとを見分ける必要がありそうです。いよいよ複雑で、混迷の時代に突入してしまっているかも知れませんね。そうなら、当事者の交通機関や、信頼できる筋の情報が必要になりますね。お遊びやからかいが、最近は大手を振って、罷り通っているからです。発信者のはっきりしない情報に踊らされない注意が必要なのです。
好い時代なのか、そうではないのか、責任は自分にあるので、いっそうの注意が、この時代は求めれそうです。もう一つは、<情報過多>の問題です。情報の流れに溺れないための判断や判別や選択が必要です。人の主観や意見が入り込んでしまった情報は、正確とはいえないからです。『惑わされないようにしなさい!』という注意勧告に耳を傾けたいものです。
間も無く、テレビも新聞も、消えてしまうのでしょうか。あんなに、小さな画面に、まるで敵国の虜にされているように見える人が、街中に溢れて溢れています。子どもは右手に、おもちゃの機関車や人形を握り、大人はスマホを目の前にかざしながら、わが家の前を、器用に歩いて行きます。実に上手に歩いてるのを見て驚かされます。
(上海のテレビ塔の「東方明珠」です)
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