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『もし大きな教会、強力な教会、社会的に影響力にある教会を作るなら、この世を変えることができる!』と言う誘惑が、教会と教会の指導者たちには一番大きいのかも知れません。私たちの東京の母教会を開拓された方は、アメリカ人の宣教師でした。三十代で、奥様と二人で来日されました。
この方は、『数年で、日本最大の教会を建設するのだ!』と心に決めて伝道を始めたのです。間も無く数人の男性がやって来ました。一人の方は、祈りも聖書理解も分かち合いも優れていました。やがて宣教師の良き助け手となり、間も無く、宣教師は、この方に、教会の責任を委ねたのです。
ところが、小さなことで決裂し、群れが分裂してしまいます。宣教師に付く者と、この新しい指導者に付く者とに、教会が二分してしまったのです。宣教師と働き人との関係が出来上がる前に、どのような人かをよく理解しないで、責任をとらせたことが原因だったのでしょう。
その方は、後年近くの教会の牧師となりますが、問題を起こして、その教会の決議で、牧師職を解かれています。母教会に残ったのは、ほとんど姉妹たちだけでした。ところが何年経っても何年過ぎても、伝道しても伝道しても、その教会に集って来るのは、若い女性だけだったのです。たまにやって来る男性は社会生活のできない人たちだったそうで、躓いては去って行きました。
この人は、完全に挫折してしまったのです。あの野心は、完全に消えていたのです。しかし、帰国しないで日本にとどまり続けました。十数年の間に、静岡に、もう一つの教会を立てあげてから、この二つの教会を新しい宣教師たちに任せて、アメリカに帰って行かれました。
傷心しての帰国でした。ところがです、あの若い女性たちの間から、四人の牧師の奥さんが生まれたのです。毎晩集会に集って、聖書を教え続けた実りが、この四人と同世代と年配のご婦人たちだったのです。その宣教師の働きは、日本最大の教会を作れなかったのですが、姉妹たちが、今もあり続ける教会を牧会する夫の配偶者となったことは、小さな働きではないはずです。枝分かれして、今は14ほどの教会が、日本のあちこちにあって、牧会と伝道がなされているのです。
地上で一番大きな、人数の多い教会は、エジプトのアレキサンドリアにあった教会だと言われています。『その教会よりも大きな教会を作る!』と言うことを目指して、韓国のソウルに世界一の教会ができました。「弟子訓練」によって、そう言った教会が作られたのです。
信徒の力を活用し、信徒を競争させて、「大教会」を作ったのです。日本のある宗教団体の強い影響を受けたとか聞きました。私は、この教会を三度訪ねたことがあります。私の心の内にも、「大教会建設」の野心があったからでした。でも、私には、そう言った信徒の力を、教会建設のために結集させる賜物や力量のないことを知ったのです。
教会に託された使命とは、「大教会建設」なのでしょうか。ある牧師セミナーに参加したことがありました。講師は、アメリカでも最大級の教会の有名な牧師でした。どうしたら成功者、つまり大教会の牧師になれるかの成功事例を話していました。そんな集会に出て、宿泊していた部屋に戻ってくると、若い牧師達は、大きな刺激を受けて、心が高揚し、顔も紅潮していたのです。
そんな牧師たちの中に、中国地方の瀬戸内海で伝道している牧師さんがいて、次のような言葉をふと漏らしたのです。『私がしている伝道は、小さなエンジンをつけた小舟に乗って、島から島へと、そこにいる数人の信者さんを訪問する仕事なのです。老姉妹たちです。大教会の建設など、全く無関係な伝道に従事してるのです。』とでした。
その話を聞いた時に、我に返ったのです。そして、99匹の羊を牧場において、失われた一匹に羊を追う牧夫の聖書の話を思い出したわけです。日本では、信徒数が少なく、日曜日に礼拝を守る信徒が、未だに50万にも満たないし、牧師も信徒も高齢化しているのです。
一人の魂をないがしろにして、何千何万もの教会の幻を見ているのを、主は喜ばれていないことが分かったのです。いえ、聖霊なる神さまは、そう言った願いを持つことを、喜ばれていないことを、私の思いに語りかけてくださったのです。人を救うのは、聖霊の業であって、人の考え出したプログラムによるのではないことを知らされたのです。
器が整っていないのに、まあまあの規模の大きさの教会を作り上げた牧師が、金銭や女性や、ご自分の家庭問題やプライドなどの問題で、堕落して行くのを、何度も見聞きしました。それは、アメリカや韓国でも、世界中で見られることで、残念でなりません。教会の主は、ご自分の教会を聖別ておられるのです。
大教会建設のビジョンを掲げ、どうそれを実行するかの方策を研究し、大きく成長した教会に出かけて行って見学し、その方策を学んで帰る旅行が、多く開催さてきました。しかし、方策や理論で教会が建設されるのではないのです。健全な、健康的な教会が、主を賛美し礼拝し続けて、そこにある、それでいいのではないでしょうか。
(“いらすとや”の教会堂の姿、Christian clip arts の教会です)
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