今の医療の恩恵に預かれて

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 小学校入学前に、肺炎を病んで、入院した時の国立甲府病院の医師が、牧先生でした。お名前を覚えているので、子ども心に感謝な思いがあったのでしょう。死ぬような病状の中で、父がアメリカから医薬品を入手して、医師に使用投与をお願いしたのです。

 入院中に、父の実家に残されて、未使用の純毛の毛布を取りに行って、遣わしてくれたのも記憶しています。曽祖父がリバプールあたりで買って持ち帰った物だったそうです。死なせたくないとの思いで、両親は必死だったのでしょう。母は、ベッドの横に布団を敷いて、悪戯小僧の身の回りの世話を焼いてくれていました。

 医学と医師と両親によって生きることができ、病後も、すぐに風邪を引く私に、バターを手に入れて舐めさせてくれ、兄たちを山羊の乳を農家にもらいに行かせ、滋養のある物を摂らせてくれたのです。おかげで我儘放題になったのですが、兄たちは、『仕方がないか!』で、小突くこともしないで、食べては放るブドウに皮を、父に拾わされたのだそうです。

 母は、どこに越しても、当時高等水準の先頭を行く医療を施してくれる国立病院を探して、風邪を引く度に、連れて行ってくれたのです。当時の地方都市には、今のような医学部が持つ、大学病院は少なかったからでした。帰りに錠剤と水薬を貰って帰り、駅前のアメリカン・キャンディーを売っていた店で、レーズンやチューインガムやチョコレートを買ってくれました。

 家で伏せることが多く、酷くなると連れ出して病院通いでした。だるさを訴えると、母は長く学校を休ませたのです。熱で、目がまわると、天井板の節穴がグルグル回り、ウトウトしつつ、NHKのラジオ放送を聴いていたのです。ニュース、名演奏家の時間、昼のいこい、落語、浪曲、歌謡曲を聴いた記憶が強烈にあります。昼前になると、「栗山さん」のおじさんが引き売りする、魚、とくにマグロの刺身を母が買って、お昼を用意してくれました。

 中耳炎を起こすと、上の兄の同級生で、ラジオ屋のお姉さんが、自転車の後ろに乗せてくれ、お姉さん腰周りに手を回して、連れて行ってくれました。兄たちとちがって柔らかな腰回りの感触が、手のひらに残っていて、今でも覚えているのです。ものすごい痛さの中で、そんな記憶があるのが私なのです。良い、優しいお医者さんでした。

 内科、歯医者など、数限りない数にお医者さんなど医療従事者のお陰で、今日まで生きてくることができたのです。これまでの自分の病歴表を作ってありが、外科ばかりに通院や入院には、いまだに驚かされ続けております。

 結婚して、子どもたちが4人与えられ、病気よりも怪我の多い家族だったでしょうか、外科通いが多かったのです。大きな病気にかかることがなく、みんな元気に育ったでしょうか。お腹に鉛筆を刺して入院した長男、次男だけは、東京の大学病院に、小学校五年生の時から通院したのです。自分一人で、電車を乗り継いで、板橋にあった大学病院に行き、診察を受け、帰りには京王デパートで、好物のイカ飯を買って帰って来たりしていました。

 子どもたちが巣立ってから、長女は、シンガポールで働いた時期があって、死ぬような病気にかかったりして、親元に帰って来たりしたでしょうか。みんなひどい病気は、それほどなかったのです。でも、親には言わずのことごとも、独立後には、どうもありそうです。次男が怪我をして入院したりもあったのです。

 家内は、結婚以来、病むことなどなく過ごして来ました。中国の華南の街に住んでいた時、体調を崩して市立病院に入院治療をしました。急遽帰国して、胆嚢の摘出手術を受けた頃、2011年の東日本大震災の直後でした。その頃から、少し弱くなって来たでしょうか。2018年の三十日(みそか)に、住んでいた家に、教会の姉妹が訪ねて来られて、家内を見て、すぐに省立病院に連れて行ってくれました。急遽、2019年の1月1日に入院になり1週間を過ごしました。

 

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 娘のように、何くれとなく支えて来ださった姉妹が、看護の担当表を作って、三交代で24時間、点滴の交換のお願いに行って下さり、 下のお世話までして下さったのです。これで二度目の中国での入院でした。前回同様に、その時も家族以上のお世話を、華南の教会のみなさんがしてくださったのです。

 主治医に呼ばれて、『すぐに帰国して、日本の医師に診てもらいなさい!』と言われました。急遽、チケエットを取り、翌日、飛行場に行きました。しかし空港の医師は、搭乗不可の判断を下したのです。病状が厳しかったからです。それで、教会のみなさんが根回しをしてくださって、翌朝、空港に行きましたら、医師が代わっていて、即刻搭乗許可を出してくださったのです。

 その姉妹がビジネスクラスに席替えの手続きをしてくださって、大勢の愛兄姉の見送りでがあって、飛行機に乗り込んだのです。もう2日遅れていたら、帰国できなかった中の帰国でした。成田空港に長男が出迎えてくれ、栃木の知人の家に着き、翌日、大学病院に行きましたら、総合診療科で診て下さり、即刻入院になりました。

 呼吸器科の病棟医師は、若い方でしたが、懸命に治療計画を立ててくださったのです。厚生省の認可間もない、免疫阻害剤の「キイトルーダ」の投与を受けたり、次男の届けてくれたCBDオイルの服用などの効果で肺腺癌の症状が改善してきたのです。息子が、病床で、讃美歌を聴くことのできる、iPodを買って、入院中聞くことができたのも、大きな激励と、免疫力のアップにつながったのでしょう。

 それに、家内の信仰も大きな力であり、世界中で捧げられ続けた祈りも、大きな助けになったのでしょう。信じた神の御名が、“アドナイ・ラファ(我はエホバ、汝を癒す者の意味/出エジプト 15章26節)“であり、その愛でいらっしゃる神さまの御名の告白と信仰は、大きな助けであったのです。

 およそ4ヶ月の入院時に、担当の看護師さんは格別な看護をしてくださったのです。退院しなくてはならなくなって、家に帰って来てからは、通院を続けていました。都合40回のキイトルーダの投与を続けたのですが、それも必要なくなって、しばらくたちます。ところが昨春、直腸と小腸に癌が見つかって、手術を受けたのです。 そんな家内の病歴で、近代医療の恩恵に預かれ、医師や看護師のみなさんに感謝な今です。

(“いらすとや”の医療カンファレンス、点滴のイラストです)

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