ブルマン、地中海、テニス

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 最高に美味しかったのは、ブレンダーで挽いたコーヒー豆を、布製の漉し器で漉して、陶器のカップに注いでくれたコーヒーでした。それは最高のコーヒー豆、Blue mountain種だったのです。かぐ香りも、飲む味も最高にリッチでした。『準哉、一緒に飲もう!』と言ってくれた宣教師さんの、丁寧に淹れてくれた香(かぐわ)しいコーヒーだったのです。

 北欧からの宣教師たちが、日本で生活するために、別荘を持っていたのに、私たちに関わってくれた宣教師のみなさんは、借家に住んでおいででした。この方が召されて何年になるでしょうか、不肖の弟子の私ですが、今朝も懐かしく思い出してしまいます。

 この方は、アメリカのジョージアの田舎町の大きなGeneral electricの電気機器ストアーの御曹司だったそうです。AtlantaにあるGeorgia Tec(ジョージア工科大学)から休暇で帰省すると、家の地下室の大きな冷蔵庫の中に、お父さんが行って、息子のために、吊るされた牛肉の一番美味しい部位を切り取って、お母さんに調理してもらった、beef steakを食べさせてくれたのだそうです。そんなお父さんの思い出を語ってくれたことがありました。

 学校を出て、アメリカ空軍のパイロットをしていた時にでしょうか、テキサスの街の教会のカンファレンスに参加したそうです。そこで日本宣教をして、休暇で帰って来ておられた宣教師さんのお話を聞き、交わりをしたのだそうです。その交わりで、彼もまた宣教の願いを入れられて、この日本に来て、Man to manで聖書を学び、宣教の思いを強固にしたのです。

 第二次世界大戦が終わって、たくさんの青年たちが、そのテキサスの教会で、毎年夏季行きました。日本にやって来られて、日本宣教に就かれた方たちも何人かいたのです。東京の教会にしばらくいた後、静岡や熊本に出掛けて行ったのです。母が導かれ、二人の兄たちも弟も、そして自分も、その東京の教会で信仰告白をし、バプテスマを受けたのです。

 オランダから来られた方が、兵庫県下で伝道されて教会が始まっていました。この教会も加えて、けっこう広範囲の地域から一堂に会して、正月と5月に聖会がもたれたのです。そこに自分が初めて参加した時の講師は、ニューヨークの聖書学校で教えていた教師で、テキサスの教会で出会った方でした。アフリカ諸国で宣教をする若い宣教師たちを問安する途中、日本に寄られた時に、初めて会ったのです。テキサスの教会のConference で出会った《信友》同士だったようです。

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 自分たちの婚約式の時に合わせて、この方が来てくださり、お話をしてくれました。まだ賛美歌や成果での賛美だけだった時代、アメリカの一部の教会で賛美されていたコーラスを紹介してくれたのです。聖書のみことばにメロディーをつけた賛美が多くささげられたのです。♯  Making melody in my heart  ♭ が、最初に紹介された一曲でした。ギリシャとアラブの気質でしょうか、明るく、奥さんやお子さん自慢の愛妻家だったのです。

 台所に立って、地中海風のナスと牛肉とのスパイシーな料理を作って、振舞ってくれたこともありました。アフリカに連れて行きたかったそうでしたが、それは実現しないまま、主の身許に、思い出や聖書の教えを残して、この方も帰って行かれました。Blue mountainコーヒーや、このアラブ系のギリシャ人の背景の伝道者のニンニク🧄を丸かじりしていた姿が思い出されてきます。一緒にテニスに興じた方もおいででした。

(“いらすとや”のイラアウトです)

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