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ずいぶん以前のことになりますが、三重県下で伝道されている教会の牧師さんのご子息が、私たちの教会の礼拝にお見えになったことがありました。近くでお仕事があるとのこと出張で来られ、礼拝を守るためでした。彼のお父さまは、「美濃ミッション」に所属される教職だったのです。このミッションが、「真のキリスト葬儀の手引き」という小冊子を刊行されていて、それを、私を教えてくださった宣教師さんから頂いて、読んだ私は大変に感動させられたのです。
日本の教会が、仏教に倣って葬儀を行うことに対して、その間違いをはっきりと指摘して、『聖書的な立場』を主張されておられたからです。日本の社会の中で生まれた者には気付かない、「霊的敏感さ」を彼らが持っていたのです。「お花料」は「香典」、「献花」は「焼香」と、まったく変わらないので、『してはいけません!』とはっきり主張されています。
このミッションは、1918年に再来日された、アメリカ人宣教師のワイドナー女史によって、岐阜県大垣市に創立されています。この方は、1900年においでになられた時には、仙台の宮城女学院で校長をされていましたが、帰国されて再びおいでくださったのです。
1933年(昭和8年)のことでした。このミッションの聖書学校に学んでいた学生の12才になる息子さんが、『それは偶像礼拝だから!』と言って伊勢神宮参拝を拒否したのです。美濃ミッションが、国体に反する「危険な教え」をしているとされ、直ちに迫害が起こります。全国紙に、このことが報道され、国家神道と妥協することを拒む真のキリスト教に対する全国的な反対が、全国民の総意のようにして掲載されたのです。
12才の少年と、その弟、料理人をされていたOさんの娘は、参拝を拒否した理由で、学校から退学させられるのです。ワイドナー宣教師さんも教会の指導者も信者さんも、毎日毎日、警察で尋問されますが、『我らはたとえ死んでも絶対に妥協しない!』と、警察署長や刑事や校長や町のリーダーたちの前で言明したのです。すごいですね!
彼らは、まさに「日本の敵」、「非国民」との烙印を押されました。町の人たちに、家が焼き討ちにされそうにもなったのだそうです。ミッション内部からも脱落者が多くあったようです。当時のすべての学校には、今日、金日成や金正日の写真が北朝鮮のすべての家庭に掲げられているように、天皇夫妻の写真が掲げられていました。戦中の生徒は、朝礼時には、東京の天皇の住居のある宮城に向かって拝礼(遥拝)をすることが命じられていたのです。公共の場では、どこでも、それが励行されていたのです。
そのような中での、伊勢神宮参拝拒否だったわけです。すごい信仰的な勇気ではないでしょうか。ダニエルように、あの3人のヘブルの少年のような、大胆で誠実で真実な信仰が、このミッションの中には流れていることになります。しかも12才の少年の心に、しっかりと信仰が継承されていたことは、ただ主をほめたたえずにはいられません。
この困難な時代を生きる私たちにも、大きな励ましであります。ノーベル平和賞候補になった、日本を代表するキリスト者だったKが、伊勢神宮に戦勝祈願の参拝を行ったのと比べて、この12才の少年の「真理」の上に立った信仰、その良心と確信からの参拝拒否は、日本教会史の特筆すべき出来事ではないでしょうか。
(“ウイキペディア”による、当時の美濃ミッションの本部、“ある信徒“さんの真理のイラストです)
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