ラーゲリから愛をこめて

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 ソヴィエト軍は、1945年8月9日に、日本軍に宣戦布告して、旧満州帝国に侵攻を開始しました。日ソ中立条約を破って、対米の無条件降伏を決定づけた侵攻し、満州の在留邦人は、慌てて逃げますが、混乱の中、不意の参戦は、大きな悲劇を生みました。その最たるものが、あの残留孤児問題でした。

 もう一つは、軍人や軍属などのシベリアの収容所への強制送致でした。凍土シベリヤを開発しようとして、長く収容所に留めたのです。テレビの連続ドラマ「不毛地帯」で、その様子が放映されていました。山崎豊子が、後に総合商社・伊藤忠で働いた瀬島龍三をモデルに、旧軍の名参謀を主人公に、サンデー毎日に連載したもののテレビ劇化でした。

 父と同世代人で、国策で軍需工場で、石英の採掘を命じられた姿と重ねて、実に興味深く、Youtubeで観ました。父は、軍隊だったら中佐ほどの立場だったそうで、街にあった連隊長と、任務上の交流があったようです。瀬島は、終戦後、11年間、その収容所の一つで過ごしています。

 今回、長女の家で、ビデオ鑑賞で、「ラーゲリより愛をこめて」を観たのです。旧南満州鉄道の調査部で働いていて、戦犯容疑でソ連軍の捕虜となってしまいます。それが、主人公の山本幡男を主人公です。辺見じゅんが、1989年に著した「収容所(ラーゲリ)からの遺書(文芸春秋社刊)」を映画化したものです。

 先の見えない収容所生活が、どんなに過酷で絶望的だったかは、「不毛地帯」も、戦時下のユダヤ人強制収容所に顛末を著したヴィクトール・フランクルの「夜と霧」に通じるものがあります。それらには「飢餓」、「過酷な労働」、そして「絶望」との闘いだったなどが描かれていました。山本は、たらい回しにされた、どの収容所でも、仲間を言葉と行動で励まし、希望を持つようにと勧めるのです。そして、俳句作りを仲間としていきます。

 「アムール句会」、これは、シベリヤのハバロフスク収容所に抑留されていた捕虜のみなさんの文化活動で、俳句を学び合った仲間の句会の名です。日本語を忘れないため、美しい母国を想い描きながら、収容所の付近を流れるアムール川にちなんだ句会で、俳句作りに励んだのです。

 その句会の発起人だったのが、山本でした。ところが、咽頭癌に冒されて、家族のもとに帰ることなく、45歳で亡くなるのです。病床で、遺書を書くように勧められ、書き上げるのですが、ロシア兵に没収されてしまいます。ところが複写をしておき、しかも4等分にした遺書を、四人で暗記するのです。

 子どもの頃、毎夕、ラジオでは引揚者の消息が、「尋ね人の時間」で、引き揚げが始まった時から、ずっと放送されていました。それを何度も聞きました。その頃よく聞いたのが、「ハバラフスコ小唄」だったのです。
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1 ラララ ハバロフスクの、
ラララ ハバロフスク
河の流れは ウスリー江
あの山もこの谷も 故郷(ふるさと)を
想い出させる その姿

2 母の顔 ラララ 母の顔
ラララ 母の顔
浮かぶ夜空に 星が出る
ただひとつ呼んでいる あの星は
遠い我が家の 窓あかり

3 元気でね ラララ 元気でね
ラララ 元気でね
やがて帰れる その日まで
今宵また逢いに行く 夢で行く
可愛いあの娘(こ)の 枕元

 さて収容所の病院のベッドの上で記した、山本幡男の遺書ですが、1956年以降、一人また一人と幡男の家族の住む家を訪ねるのです。記憶した幡男の遺書の内容を、妻に、子どもたちに、そして母親に、四人四様に、その遺書を暗記し、口頭で伝えたのです。その場面が圧巻でした。山本の高潔な人間性の思い出が語られるのです。人は極限の中でさえも、山本幡男のように生きれるのです。

地に書いてうなづき合うや日向ぼこ

 これが、山本幡男の記した俳句の一句です。東京都下に住んだ家内の家の近くには、引揚者住宅があり、満州開拓団の引揚者の級友たちがいたそうです。同世代の両親の子、片親の子、孤児なども、多くいたのです。去年、那須地方の街に住むご婦人と、宇都宮で出会った。のですが、この方は、満州からの引揚者で、同年生まれで、戦後を生きてきたそうです。級友には、大陸や南方でお父さんを亡くしたり、牧師仲間にも、大陸からの引揚者がいて、引き揚げ後の生活の厳しさを聞いたことがあります。

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 フランクルにしろ、山本幡男にしろ、収容所の過酷な環境の中を、家族に会えると言う、明日への希望を持って生き、生きるように同囚に仲間にも励ましたのです。あの過酷で絶望的な状況下、逆境の中を生き抜いた人たちが、私たちの戦後80年に多くいたと言うことです。日本が、1941年12月8日に攻撃した真珠湾に、ほど近い所で、この二週間ほど過ごしています。85年ほど経った今、複雑な思いで、過ぎた日の出来事を思い返させられているのです。

(“ウイキペディア“のアムール川、山本幡男の4人の子どもたちです)

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