中学の同級で、バスケットボール部で一緒に汗を流し、上級生やOBにしごかれた仲良しが、大学を終えて、寿司職人になるために修行を始めたのです。新聞記者だったお父上の退職金で、自宅を改装して、鮨屋を始めるためでした。東京郊外のJRの駅前でした。近くに湖があって、中学時代は、よく遊びに行っては、湖上でボートを漕いだりして遊んだ、悪戯(いたずら)仲間でした。
ところが、店を始めて、軌道にのった時期に、病気で亡くなってしまったのです。同級生では最も早く召された一人でした。確か男の子が、三人いたと思います。夫人が、彼の遺志を継いで、その鮨店を続けたのです。鮨職人が残られて、営業し続けたのです。
昨日、彼のことを思い出し、あの店が続いているのかが気になり、"google"のサイトで検索してみたのです。そうしましたら2006年の記事が見つかり、夫人の名義で、店を営業しているのが分かったのです。以前訪ねた時、息子さんが店を継いでおいででしたから、親子で経営されている様です。その記事は、40周年のものでした。それから12年が経っていますから、「創業50周年」を過ぎたことになります。
家内といっしょにお邪魔したこともあって、ご夫人と名前が同じ好(よしみ)で、「三浦綾子」のフアンだと言うことで、新刊書を、家内が差し上げたことがありました。われわれ世代ですから、今も"女将(おかみ)"をしているか、息子さんの夫人に譲っておいでか、どうされておいででしょうか。
この級友に、OBの大学生が、渾名をつけていたことがあったりで、結構面白く、人気のあった仲間でした。教室の天井裏に登って、授業中なのに、国語の教師に叱られたりした仲間でした。大人の付き合いに入る前の別れでしたから、やはり「死」を真剣に考えた時期でした。
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