いつも配信してくださる[HP/里山を歩こう]が、一昨日、「赤とんぼ」の写真を送ってくださいました。この「赤とんぼ」は「総称」であって、多くの種類の「赤とんぼ」が棲息しているのですね。
よくNHKラジオで聞いた、「にっぽんのメロディー」の最後に、昭和の郷愁を呼び起こすかの様に、この曲が流れていました。この番組は、とても人気があって、ご自分が口ずさんだり、お聞きになった思い出の歌をリクエストして、毎夜、2曲が放送されていました。中西龍アナが、リクエストに添えられた思い出を代読されて、最後には、俳句を紹介していました。その時に、この「赤とんぼ」の曲がBGMでw流れていたのです。
この童謡とは別に、「赤」を「紅(あか)」にした、「紅とんぼ」という歌もありました。作詞が吉田 旺、作曲が船村 徹、ちあきなおみが歌っていました。1988年(昭和68年)に、レコードが売り出されています。
1 空(から)にしてって 酒も肴も
今日でお終い 店じまい
五年ありがとう 楽しかったわ
いろいろお世話に なりました
しんみりしないでよ ケンさん
新宿駅裏 紅とんぼ
思い出してね 時々は
2 いいのいいから ツケは帳消し
貢ぐ相手も いないもの
だけどみなさん 飽きもしないで
よくよく通って くれました
唄ってよ騒いでよ しんちゃん
新宿駅裏 紅とんぼ
思い出してね 時々は
3 だから本当よ 故里(くに)へ帰るの
だれももらっちゃ くれないし
みんなありがとう うれしかったわ
あふれてきちゃった 思い出が
笑ってよ涕(な)かないで チーちゃん
新宿駅裏 紅とんぼ
思い出してね 時々
「新宿駅裏」にあった、酒処の名が「紅とんぼ」で、そこに通った馴染み客の名前が歌い込まれていて、実に、「昭和晩期」に、「昭和」を感じさせる歌でした。そこは、JRの新宿駅の中央線や山手線の線路脇にあって、「思い出横丁(通称は”しょんべん横丁”でした」と言われている飲食街です。その西口周辺には、まだ小田急や京王のデパート、駅ビルのない時代でした。今も、この横丁が残されている様です。
ここは、高等部のバスケット部の東京都の大会の試合の応援と、"ボール持ち"に駆り出された帰りに、新宿駅西口で降りて寄った飲食街です。つまり<ご苦労さん会>で連れて行かれて、ご馳走にになった食べ物屋が密集していました。大学に通う様になってからも、時々行ったことがあります。終戦後の掘建(ほったて)小屋から始まっていた様です。
空腹を満たした一時を、そこで過ごしたのですが、ドンブリ飯は本当に美味しかったのです。高校生やOBが振舞ってくれました。私立の中高校で、市長や国会議員や医者を親に持った先輩は、たくさんお小遣いを持っていて、何でも注文させてくれたのです。その楽しみでついて行ったのです。1950年代の終わりの事ですから、中学生の頃で、60年も前の事になります。この<ジュンちゃん>も、"ジーン”とくる様に、思い出が鮮明であります。
(「このしめとんぼ」と昭和30年代の「新宿駅西口」です)
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