漢詩といえば、李白と杜甫と白楽天です。この二人に匹敵する詩人は、宋代の詩人の「蘇軾(SuShiそしょく)」でしょうか。国語で学んだ漢詩には、次の有名な二首があります。
「春夜」
春宵一刻値千金 春宵 一刻 値千金
花有淸香月有陰 花に淸香有り月に陰有り
歌管樓臺聲細細 歌管 樓臺 聲細細
鞦韆院落夜沈沈 鞦韆 院落 夜沈沈
春の宵は一刻が千金に価するほどすばらしい
花は芳しく香り月の光がさやかだ
先ほどまでの歌舞管弦もいまはひっそりと静まり
中庭ではブランコがゆったりと揺れ、夜が更け渉って行く
「中秋月」
暮雲収盡溢清寒 暮雲(ぼうん)収まり尽きて清寒(せいかん)溢る
銀漢無聲轉玉盤 銀漢 声無く 玉盤を転ず
此生此夜不長好 此の生 此の夜 長(とこしなへ)に好(よ)からず
明月明年何處看 明月 明年 何れ(いずれ)の処にか看(み)ん
日暮に雲は消え去り爽やかな涼気が溢れている
音も無く流れる銀河(天の川)に宝石で作られた皿のような明月が現れた
これほどに素晴らしい人生、素晴らしい夜だが、決してそれは永遠に続くことはない
来年はこの月を、果たして何処で眺めていることだろう。
その言葉の無駄のない漢詩に、中学生の私は圧倒されました。多く表現したい気持ちが、言葉として溢れてくるのでしょうけど、それを削ぎ落として、詩を詠む気持ちが、何となく分かったからなのでしょうか。
一人の友人が、わが家を訪ねてくれた時に、一冊の小説を持参してくれたのです。先年亡くなった葉室麟の「銀漢の賦」でした。この小説に中に、この蘇軾の「中秋月」が引用されていたのです。上級武士、下級武士、農民の子の三人の身分を超えた友情が、大人になっても変わらない様子が描かれていて、秀作でした。
きっと、日本情緒に浸りたい頃だろうと、友人が考えてくれたのでしょう。それで、題名の「銀漢」がよく分かりませんで、ネットで検索すると、「銀河」のことだと分かったのです。秋になって、小高い山からなら、この銀河が見えそうな季節になってきました。何十年の前に、内モンゴルにいた時、夜空は満天の星が輝き煌(きら)めいていました。あの壮大な光景は、また見上げて見たいなと、そう思う華南の街の夕べです。
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