自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
反骨精神の溢れた女流詩人でしょうか、「現代詩の長女」と言われた茨木のり子の詩が面白いのです。“ウイキペディア”に次の様に、この方の経歴があります。
『大阪府大阪市生まれ、愛知県西尾市育ち。愛知県立西尾高等女学校を卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校薬学部に進学する。上京後は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しむが何とか生き抜き19歳の時に終戦を迎え、1946年9月に同校を繰り上げ卒業する。帝国劇場で上映されていたシェークスピアの喜劇「真夏の夜の夢」に感化され劇作の道を志す。「読売新聞第1回戯曲募集」で佳作に選ばれたり、自作童話2編がNHKラジオで放送されるなど童話作家・脚本家として評価される。1950年に医師である三浦安信と結婚。埼玉県所沢町(現、所沢市)に移り住む。家事のかたわら『詩学 (雑誌)』の詩学研究会という投稿欄に投稿を始める・・・』
ご自分の戦争体験を詠んだ、「わたしが一番きれいだったとき」が有名です。「作文」を、学校で教えていた時に、その教材として、私は使ったことがありました。日本の戦争責任を問う喧騒の中で、日本人も、多くを失ったことを、詩人は伝えたかったからです。同じ世代の日本女性が、戦時下と戦後に味わった体験は、こちらの学生にとっても興味津々だった様です。
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