肥後

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阿蘇山の近くに住む友人を訪ねた時、そこに滞在していたある夜、『今晩咲きますから、ぜひ観に来てください!』と、ある方が迎えに来てくださって、出掛けたことがありました。十数年前のこの時季だったのです。年に一度(ある花は3〜4度ほど咲くそうです)、しかも夜九時過ぎに開き、午前零時にはしぼんでしまうのだそうす。その花が、「月下美人」でした。

そんな花の神秘さに触れて、その夜、私は大いに興奮してしまいました。この様な花の一つほど飾ることのできない私なのに、花を見て感動することができるのは、生かされている人の特権だと思ったのです。これこそ、「目の喜び」と言うのでしょうか。また、阿蘇の外輪の美しさにも魅了され、本州の山の様に、急峻でないなだらかさが新鮮でした。肥後を唄った童謡があります。

あんたがたどこさ 肥後(ひご)さ
肥後どこさ 熊本さ 
熊本どこさ せんばさ
せんば山には たぬきがおってさ
それをりょうしが 鉄砲(てっぽ)で打ってさ
にてさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉で チョッとかぶせ

加藤清正が築城した熊本城も、巨石が美しく堅固に積み重ねられ、その城壁の石の曲線が、何とも言えず美しいのです。昨年、この同じ友人を訪ねて、地震後の熊本城に連れて行ってもらいました。地震の爪痕は、城壁にも見られ、復元工事が丁寧に行われていました。前の様な雄姿を再び見たいものです。被災された多くの方々の精神的な痛手は、まだ大きなものが残っておいでだそうです。その恢復も求められています。

この肥後熊本は、海の中に点在する天草諸島も、実に美しいのです。私の恩師が、半年ほど、熊本においでになっていたことがありました。そこを家内と友人夫妻とで訪ねたことがあったのです。まだ四十代の恩師でした。清い白川の流れの渓谷に足を浸して、真夏の岩陰で、涼を楽しんだことも、恩師との語らいも思い出されます。もう45、6年も前になります。

また、「だご汁」と言う、伝統の郷土料理、水団(すいとん)が美味しかったのです。狸は食べませんでしたが、ここのもう一つの名物は、「馬刺し」で、これも美味しいのです。あの時、最初の訪問で出会った中学生、高校生の若者たちも、今や、退職年齢に達していると、昨年の訪問時に聞いて、驚いてしまいました。歳月の過ぎ行く早さに、自分の年を重ねてみました。

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