十代の君へ

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帰国時も、こちらで生活していても、観ることがないのはテレビです。そんな私ですが、泊まったホテルのテレビ案内に、<NHK視聴可>とありました。それで、スイッチを入れたのです。同時刻放映ではなのでしょうけど、「10代の君へ(広島放送局政策)」が放映されていました。きっと、原爆投下記念日に放映されたものではないでしょうか。

その番組で、被爆体験をされた4人の方の「手紙」や手記をもとに、大学生グループなどのアニメーション作品が、紹介されていました。ほのかな恋心を覚えていた級友が、亡くなっていく様子を、一人のおじいちゃんが回顧したり、また東北大震災の被災者で、愛する家族を亡くされた方の体験と重ねたものなどがありました。

色褪せることのない生々しい体験に、被爆後の日本を生きてきた方が、それぞれに語り、記していました。私は、山梨県の山岳地帯で生まれたのですが、甲府も原爆投下の候補地であったと聞いたことがあります。また、広島に投下される前に、どういう情報入手経路があったのか、『広島を離れる様に!』との勧告が伝えられていたという話も聞いたことがありました。

『戦争を止めさせるのに、やむなく投下した!』と言う、投下決断を下したのが、時のアメリカ合衆国の大統領のトルーマンだったのです。原爆投下反対の立場をとっていた、極東の最高司令官であったマッカーサーへの打診や相談なしに決断した様です。後に大統領になるアイゼンハウアーも投下に反対でした。

結局、長崎と広島に原爆が投下され、被爆死者と、後遺症を負われる被爆者が出たのです。広島市内の小学校(市立大芝小学校でしょうか)に、樹齢九十年の柳の木があります。この柳が、番組で紹介されていたのですが、今も青々と葉をつけている映像が見られました。焦土と化した土地から、生命の再生はないと思われていたのですが、翌春、柳の枝に芽が出て、葉をつけ、今日に至るまで命を輝かし続けているのです。

被爆者の子でいらっしゃる被爆二世も、大勢おいでです。プロ野球で活躍した張本勲氏も、大相撲の千代の富士も、その一人だと聞いています。平和ほど求められて、裏切られ続けた願いは他にありません。人は、過去に学ばないからでしょうか。この番組を観て、わが子、わが孫に、平和な時と国を残したいものだと、改めて願った週末でした。

(大芝小学校の生き残った柳の木です)

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