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明治の御維新で、京都から東京に遷都され、上り下りの旅が逆転しました。つまり京に上ったのが、東京に上る様になったのです。鉄道事業が進み、京都から東京へ列車で「上京」することになってしまいます。天皇も、京都から東京に住まいを替えたのです。幕末の江戸は、ほぼ「百万人都市」だったと推計され、当時、北京と同じほどの人口だったと言われています。「東京節」と言う歌がありました。大正8年(1918年)に歌われ始めた様です。
東京の中枢は丸の内
日比谷公園両議院
いきなかまえの帝劇に
いかめし館は警視庁
諸官省ズラリ馬場先門
海上ビルディング東京駅
ポッポと出る汽車どこへゆく
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデフライフライフライ
東京で繁華な浅草は
雷門、仲見世、浅草寺
鳩ポッポ、豆売るお婆さん
活動、十二階、花屋敷
すし、おこし、牛、てんぷら
なんだとこん畜生でお巡りさん
スリに乞食にカッパライ
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデフライフライフライ
東京の自慢はなんですか
三百万人うようよと
米も作らずにくらすこと
タジレた市長を仰ぐこと
それにみんなが感心に
市長のいうことをよくきいて
豆粕食うこと痩せること
シチョウサンタラケチンボで
パイノパイノパイ
洋服もツメエリでフルイフルイフルイ
東京の名物 満員電車
いつまで待ってても乗れしねぇ
乗るにゃ喧嘩腰 命がけ
ヤットコサと空いたのが来やがっても
ダメ ダメと 手をふって
またまた止めずに行きやがる
なんだ故障車か ボロ電車め
シチョウサンタラケチンボで
パイノパイノパイ
洋服もツメエリでフルイフルイフルイ .
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その後、中山晋平の詞に、西條八十が曲をつけた「東京行進曲」が歌い始められたのは、1929年でした。
1 昔恋しい 銀座の柳
仇な年増を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
明けりゃダンサーの 涙雨
2 恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文書く 人もある
ラッシュアワーに 拾った薔薇を
せめてあの娘の 思い出に
3 ひろい東京 恋ゆえ狭い
粋な浅草 忍び逢い
あなた地下鉄 わたしはバスよ
恋のストップ ままならぬ
4 シネマ見ましょか お茶のみましょか
いっそ小田急で 逃げましょか
かわる新宿 あの武蔵野の
月もデパートの 屋根に出る
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さらに、昭和になって戦争後には1964年、東京オリンピックが行われました。そのlm年に、作詞が藤間哲郎、作曲が佐伯としの「東京の灯よいつまでも」が売り出されました。
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1 雨の外苑 夜霧の日比谷
今もこの目に やさしく浮かぶ
君はどうして いるだろか
ああ 東京の灯(ひ)よ いつまでも
2 すぐに忘れる 昨日(きのう)もあろう
あすを夢みる 昨日もあろう
若い心の アルバムに
ああ 東京の灯よ いつまでも
3 花の唇 涙の笑顔
淡い別れに ことさら泣けた
いとし羽田の あのロビー
ああ 東京の灯よ いつまでも
この「東京」は、度々歌で歌われた街で、「華の」と付くの相応しい街に違いありません。まだ走っていた都電に乗って、銀座通りをたどった遠い昔日々を思い出します。長安も、洛陽も、開封も、詩に詠まれることもあったのですが、曲をつけて歌われると言うのは、日本的な特徴でしょうか。パリも、ニューヨークも、ロンドンも、日本の歌にあります。昨日お会いした、これから日本の長崎に留学する若者は、一度訪ねた東京に魅了されていました。
((東京都の鳥のユリカモメ、木のイチョウ、花のソメイヨシノです)
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