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昨日から、中国の南、福建省の"アモイ(厦门xiamen)"に滞在しています。ビザの滞在要求事項で、3ヶ月に一度、国外に出なければならないので、中国版の新幹線("动车donche"と呼ばれています)に乗って、ここに来ました。"五通码头wutongmatou"の港から、アモイと金門島間を就航してる「和平之星」に乗って、金門島に着いたのです。
そこで、いつもの様に昼食に、"牛肉面niuroumian"を食べて、その足で、アモイに戻り、税関手続きを終えました。今回は、家内の誕生祝いと、在華12周年を記念して、ちょっと奮発したのです。結婚式の後、すぐ上の兄が、泊まれる様にセットしてくれた、「東京ヒルトンホテル」以降、二回目の《五つ星ホテル》に投宿しました。市内の中心部の海浜に位置している日系ホテルです。
けっこう家内は満足しています。これまでの中国での生活を、様々な場面を思い出しています。来ました当初、まだまだ、ここ中国は開発途上でした。その後、目覚ましく更なる発展を見せて、それには驚くばかりです。「改革開放」を掲げた鄧小平氏が力を入れた街の一つが、このアモイでした。かつて、"コロンス島(鼓浪屿)"に、欧米諸国の領事館があった街だったのです。l"ウイキペディア"に、次の様にあります。
『福建華僑のふるさとの街としても知られ、19世紀から世界各地の華僑の増加に伴い、「アモイ (Amoy)」の名で国際的に知られた。廈門の古い地名「下門」は、閩南語の漳州方言では白話字 (POJ) ローマ字表記で Ē-mûi と書くようにエームイと発音され(廈門方言と泉州方言では Ē-mn̂g エームン)、これがアモイに転じたと思われる。』とあります。
台湾との交流が深く、台湾語は、この地域の"闽南话minnanhua"と同じで、文化的にも民族的にも同じルーツを持っています。私たちが初めて、この街にやって来たのは、2007年でした。ちょうど、マラソン世界大会が行われる時期で、その準備に余念がありませんでした。シンガポールやホノルルに、ちょっと似た感じがしたのです。
この年月は、この国にやって来て、好い人たちと出会い、多くの友人を得ることができ、この街にも、懇意にしている方たちが与えられた日々でした。もうしばらく、友人の要請に従って、こちらに滞在させてもらおうと再決心したところです。友人の会社の顧問をしながら、生活をしており、私たちにとっては、《第二のふるさと》であって、まさに"习惯了xiguanle/日本語では『慣れました』"です。感謝しつつ。
(コロンス島からのアモイの街の発展した様子です)
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