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ニュースによると、65年前の8月28日に、「日本テレビ(民放テレビ)」が放映開始したとのことです。NHKは、同じ年の2月1日に放映開始していました。当時、父は、東京都下の八王子市大和田にあった、ある会社の職員住宅を借りて住んでいました。大きな村内と言う味噌屋を甲州街道を挟んだ、反対側を入った所にあったのです。この味噌屋は、後に手広く電気店を始めますが、老舗の商店でした。
その店にテレビジョンがあって、夕方になると、観に行った覚えがあります。やはり資産家だったのでしょう、あの近辺では最初のテレビを買っていたわけです。どんな番組だったのかの記憶はありませんが、1年後に越した街の下駄や雑貨や燃料を商う店にも、このテレビがありました。お得員さんで、貫禄のあった父に、店主は一目置いていたのでしょう、座敷に上がって、テレビを観ていました。子どもの私たちは、庭にゴザが敷かれていて、そこに座って観たものです。
放映番組で一番の思い出は、力道山の「プロレス」でした。日本人のレスラーが、アメリカ人の巨体の白人を"空手チョップ”で薙倒すのに、誰もが興奮して、代わりに闘って勝つのに、溜飲を下げていました。プロレスラーも観戦者も、ものすごく激していたのです。その後、「ひまなしとびだす」、「事件記者」という番組があったのを覚えています。「月光仮面」も、その後の番組だったと思います。
そんなで、父が家にテレビが入れたのは、上の兄が、テレビに出ると言うことになってだったかと思います。大学選手権の試合が、テレビ放送されるのを、父は観たかったからでした。テレビジョンの前に、日本人が<釘付け>になってしまい、家族の会話がなくなっていくのでした。功罪両面の文明の利器が、家庭を侵食して行ったわけです。ちなみに、私の家庭にテレビが入ったのは、長女が高校受験で、『テレビで講座があるので買って!』と言われてでした。
「日本紀行」とか「シルクロード」、最近では、「家族に乾杯」とか、「日本縦断こころ旅」とかが面白かったのですが、テレビを見ることが、今ではなくなりました。でも、自分がテレビを観て、一番強烈だったのは、東日本大震災の折に、仙台市内を流れる川を、「津波」が遡上して行く光景でした。こんな光景を見ていいんだろうか、と思いながら、何もできないでいる自分が、津波にのまれて行く人や家や車を見ていた、<罪悪感>でした。
(テレビ草創期の街頭放映の様子です)
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