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こちらのスーパーマーケットで、所狭しと売り場に並べられてある食品は、「インスタントラーメン」です。しかも、カップ麺が人気なのでしょうか、何十種類も並び、その主力商品は、「韓国」の会社の作った、カップ麺です。もし毎日、この激辛や中辛を食べていたら、体に良くないのでは、と心配になってしまいます。
中学に入った翌年、1958年8月でしょうか、「即席チキンラーメン」が売り出されていました。この食品誕生について、“ウイキペディア”は次の様に記しています。
『日清食品創業者の安藤百福が終戦直後の大阪・梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見て、「もっと手軽にラーメンを」と開発した。チキンラーメンは、安藤が大阪府池田市の自宅の敷地内に建てた研究小屋で試行錯誤した末に生まれた。ある日、妻が作っていた天ぷらを見た印象や食感をヒントに「油の熱で乾かす」こと(瞬間油熱乾燥法)を思いつき、採用した。池田市にある「安藤百福発明記念館 大阪池田」(カップヌードルミュージアム 大阪池田)には、チキンラーメンを開発した作業小屋が復元・展示されている。また日清食品がチキンラーメン60周年記念として2017年10月から営業を始めた「チキンラーメン屋台」は、この研究小屋をイメージして製作した。チキンラーメンの「チキン」は鶏を意味する英語”chicken”であるが、本商品のローマ字表記は日本語で”Chikin”と綴られている。』
生ラーメンにない食感が美味しかったのです。同級生のI 君は、確か<チキンラーメン>と、バスケのOBに渾名(あだな)をつけられるほど、そのまま食べるほど好きだったのです。残念ながら、大学を卒業後、自分の街で、寿司屋を開業していましたが、三十代で亡くなったのです。この即席麺を見ると、彼のことが思い出されるのです。
なぜか、こちらでは、即席麺は、韓国生まれの様に錯覚されているのですが、歴(れっき)とした日本産なのです。ところが、開発者の安藤百福氏は、台湾嘉義生まれの台湾の方で、立命館大学で学んだ方です。試行錯誤して誕生した即席麺が、今では世界中で受け入れられて、今日を迎えています。今月、2018年8月は、その「60周年」なのだそうです。
直近のカップラーメンを食べたのは、昨年、札幌の病院に入院中に、病友が、『夜中に食べて!』と頂いたもので、こっそり食べたのです。本当に美味しかったのです。お礼を言ったら、もう一つ頂いてしまいました。袋入り即席ラーメンは、娘がニューヨークで買って、送ってくれたのを、先日、家内と食べました。これも、ことの外、美味しかったのです。あの「チキンラーメン」の級友の息子さんが、寿司屋を継いでいますが、切り盛りしていた、級友の奧さんはお元気でしょうか。
(日清食品の「チキンラーメン」です)
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