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『もう、10人に8、9人ほどが、一点を見入っている!』と言う光景が見られるのは、電車で座席についている人のスマホへの集中の割合です。スマホを見ていないのは、われわれ世代だけの違いがあるのです。
そんな電車の中で、新書版や文庫版の本を読んでいる方も、ホンのわずかはいますが。出勤時には、満員電車で、本や新聞を読むことなどできませんが、以前は、CDプレーヤーなどが出始めて、高音量で聴いている人の音がヘッドフォーンから漏れていたりしていたこともありましたが。今は、「スマホと睨めっこ族」ばかりです。
話し合っている高校生たちはわずかで、どうも一人の世界に閉じこもる傾向が顕著の様に感じられるのです。憂鬱そうな表情が若者らしくないのです。もっと快活であって欲しいと想うのですが、十代は、やはり大人になりかけの何やら難しい時代であるのでしょう。自分はどうだったかなあと思い返しています。
通学風景と言えば、思い出すのはのは、久保田早紀が、歌った「異邦人〜シルクロードのテーマ〜」は、その通学するJR中央線の車内から、国立駅付近で見かけた子どもたちの遊ぶ姿を見て、「インスピレーション」が湧いて、元は「白い朝」と言う詩を作ったのだったそうです。その後、レコード会社が、大幅に手を入れて、改作されて、ヒット作となったと、4、5年前に直接聞きました。
車窓の光景は、その時代が進むに従い、変っていきました。中学に入学してからの15年間ほど、通学通勤で電車を利用していました。その頃の車内や車外の風景が、時々思い出されるのです。通勤していた頃は、地方への出張もあって、西日本方面には、ちょくちょく出掛けていましたので、地方の風景を眺めたり、地方地方の訛りを耳にしすることも、けっこうありました。
昨年来、朝の通勤通学時間に、検査通院などでJRの両毛線、宇都宮線に乗る機会が何回かあって、自分の通学していた頃と、時間のずれや地方都市での通学風景とは、だいぶ違いますが、学生のみなさんの屈託ない話し声が聞こえて来ると、なんとなくホッとさせられたのです。
『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(新改訳聖書 伝道者の書12章1節)』
若い血がたぎり、夢や理想や幻を胸に抱(いだ)き、それを友と語り合える日々こそ、人生の素晴らしい時ですね。さらに神を友とすることができたら、特別最高に素晴らしいことに違いありません。時を定め、万物を支配している神さまがいらっしゃることを信じ、認められたら、人として一番のことだからです。
神を知ることこそ、人の一生の意味を知ることにつながります。自分が80まで生きられるなんて、考えもしませんでした。小学校に入学する直前に、肺炎に罹り、死に損なって、主治医に母が、『また肺炎を起こしたら、死ぬかもしれませんので、十分に注意したください!』と言われて、母は死なせまいとして、私を育ててくれたのです。
熱が出たり、咳をしたりすると、医者に連れて行かれ、注射をされ、粉薬や水薬を処方されて、食後に飲まされました。あの水薬の匂いを、まだ覚えているのです。小学校4年からすっかり元気になり、中学に入って、バスケットボールをし始め、試合にはスタメンで出場する様にもなれたのです。
70歳を過ぎた頃から、定期的に薬を飲む様になって、それまでは常用薬などありませんでした。今や5種類の薬を毎朝飲む様になっています。そう、まだ生かされているのを感じ、17で母の信仰を受け継ぎ、バックスライドしたものの25歳からは、迷わなくなって、今日に至っています。聖書が、「何の喜びもない」と言って警告した年齢になった今、神のいますことを知ったことに、深く感謝するのです。神に知られた自分でもあります。
(ウイキペディアのJR両毛線の車両、Christian clip artsのイラストです)
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