85歳の壮健について

.

.

 知り合いの実家に、ご両親を訪ねたことがありました。手広く果物栽培をされておいでで、日焼けしたお顔には、年月や苦労が刻まれておいででした。このお父さんが、『俺、最近バカになっちゃって!』と何度か繰り返されてお話になっていたのです。こちらはまだ四十代でしたので、謙遜に、そんなことをおっしゃっていたのだと思ったのです。

 でも、そのお父さんの言っていた「ことば」が、最近、思い出されるのです。先おとといの晩にも、翌朝のご飯の支度のために、お米を研いで、雑穀米を入れ、小豆が良いからと言うので、小さな鍋で煮ていたのです。それを忘れていたら、家内が、『もう小豆、いいんじゃないんですか?』と言われて、火を消して鍋の蓋を開けましたら、煮ていた水がカスカスになっていて、すんでのところで焦がしそうでした。

 最近、そんなことが続いていて、危険信号が点滅しているのです。お昼にも、サラダを作り、卵とサツマイモを蒸していたのです。何か、焼き芋のニオイがしてくるではありませんか。『しまった!』と思って、台所に跳んで行って、ガスレンジの火を止めたのです。煮水がなくなっていて、「焼き芋状態」になっていたのです。

 いやー、2回連続は初めてで、『オレもバカんなっちゃった!』と思ったのです。いえ、認知症突入でしょう。それでも、体ばかりではなく、認知能力も健康であり続けたいと願うのです。「認知症にならないための十ヶ条」では、次のように言っています。

  1. 脳血管を大切にする
  2. 食生活を整える
  3. 運動を心がける
  4. 飲酒・喫煙が過度にならないようにする
  5. 活動・思考を単調にしないように努める
  6. 生き生きとした生活を
  7. 家族・隣人・社会との人間関係を普段から円滑にしておく
  8. 自らの健康管理に心掛ける
  9. 病気や障がいの予防や治療に努める
  10. 寝たきりにならないように心掛ける

 『オレは大丈夫!』も、笑い事ですませるのも、もはや終わって、危険水域に入った自分を実感しています。顔にシワが目立つ様になっているのですから、脳機能にも、シワやシミが出て来ているのでしょう。避けられない事実を認めるのが、「認知」なのでしょう。”OB“、まさに人生の「オールドボーイ」なんだと思うこと仕切りです。

 昨年の暮に、大学病院で、心臓をCTで撮影した画像を見せていただいて、真っ赤に血の赤い色をしていて、躍動する自分の様子を見て、感動したばかりです。何十年も動き続けて来た心臓が、一瞬も途切れることなく、この脳にも、身体全体に、あんなに細い血管を通して、血液を送り続けてくれている、いのちの循環に驚嘆するばかりでした。

 イスラエルのユダ族の族長だった、85歳になっていたカレブが、次の様に言っています。

『今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。(新改訳聖書 ヨシュア14章10-11節)』

 「85の壮健」には、驚かされます。ユダ族を率いていた40歳の日と同じ様に、45年間生きてきてのカレブの告白です。武器を手に取って、戦場を駆け巡れるほどの健康状態を維持していたのです。それは、主を信じる年月だったことになります。彼よりも5歳も若い自分の現状からして、羨ましいほどの信仰告白なのです。

 これは比較の問題や課題ではなさそうです。そんなカレブも、その生涯を終えています。《今を生きる》に徹したのが、カレブの生涯だったのでしょう。エホバなる主に従い通した、健康で健全な一生だったのです。主に従い通せる様に、残りを、家族に支えられながら、自分も感謝して生きていこうと思い直しました。もちろん注意しながら生きてまいります。

(ウイキペディアによるカナン偵察時のカレブたちの様子の図です)

.

カモは去り、秋には再び来る

.
.

 もはやカモが飛び立ってしまい、一羽もいなくなった巴波川の河面で、こんなに群れていたのが嘘の様な、一抹の寂しさです。秋になって帰って来るまでは、鯉の天下になりますが、雨降りの後の川は、泥水で、鯉の姿を確認できませんでした。

 故郷は遠くにあるので、日本語に代わって、ロシア語が聞こえて来ることでしょう。この秋の一番帰りを、カモたちは競争するのかも知れませんね。今は、巴波川の餌売り場の特製の餌は、鯉だけの競争になりそうです。

.