仇撃ちでなく神の国建設に

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 自分の一生を、『こう言う風にも生きられたかも知れない!』と、人生の終盤にある私は、そう思うことがあります。ただ可能性の問題ですが、自分が決めたと言うよりは、この様に導かれたと言う以外に、自分の一生はこれに違いありません。それで、この現実に満足の今なのです。きっと小説家のみなさんは、歴史上の人物を、史実だけでなく、そんな風に創作して、書き上げるのでしょう。

 日本人の大好きな物語が、いまだに「忠臣蔵」なのだそうです。時は元禄の頃(1703年)、江戸城の松の廊下で、刃傷に及んだ主君、浅野内匠頭の恨みを、元家臣の四十七士が、本所の吉良邸に討ち入りして晴らす物語です。恨みの張本人が、吉良上野介で、討ち取るための中心人物が、元・筆頭家老の大石内蔵助でした。

 元禄期に起こった一大事件は、人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の演目で、1748年(寛延元年)の夏に、大阪の竹本座で初演されています。やがて歌舞伎で取り上げます。この事件が起こったのが、元禄14年3月14日(陽暦4月21日)ですから、50年ほど経ってからになります。史実と、創作劇とには、だいぶ違いがありそうですが、私たちが歌舞伎や映画やテレビで観たり、本で読んだりものの基本になりそうです。

 歴史的には、「元禄赤穂事件」として記録されているのですが、それはさておき平成の世に、池宮彰一郎が、この事件を取り上げて数冊の本を著していて、それを田中陽が書いた、「最後の忠臣蔵」の脚本によって、映画が制作され、劇場で上映されていました。

 その作品の主人公は、大石内蔵助ではなく、討ち入り前夜に、逃亡したとされている、内蔵助の家臣で、瀬尾孫左衛門なのです。その逃亡には、内蔵助の密命がありました。内蔵助には、お軽と言う女性がいて、内蔵助の子を宿しているとのこと。このお軽とお腹の子の世話を家臣の孫左衛門に託すのです。
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Digital Capture

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 それは、全くの小説なのです。でも、[ありうる話]でしょうか。もう一人、討ち入りには加わりながら、逃亡したという設定になっている寺坂吉右衛門がいたのです。討ち入りを果たした義士たちの遺族の世話を、大石良雄に託されて生き延びたとされています。二人とも下級武士(足軽)同士で知り合いの孫左衛門を『マゴザ!』と呼ぶ仲なのですが、軽の子、可音を育て上げた頃に、偶然、主君の密命を遂げるまで、身を隠していた孫左衛門を見つけるのです。

 この可音は、縁あって京の豪商、茶屋四郎次郎の子に嫁ぐのです。婚礼に、迎えの籠で行く可音を見送った後でしょうか、孫左衛門は、家に帰って、腹を切って果てるのです。足軽ほどの身分の武士として、どの武士よりも「武士(もののふ)」として果てるのです。主人、内蔵助から託された使命を果たし終えたからです。武士とは、何と面倒な身分だったのではないか、そう思って、けっこう思うことがありました。

『しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。(新改訳聖書 マタイ26章56節)」

 大石内蔵助らの赤穂武士は、主君浅野内匠頭の恨みを晴らし終えて、武士の本懐をとげて、切腹して果てるのです。ところが、イエスさまが預言されたように、イエスさまの弟子たちも、主を見捨ててしまったのです。キリストの12人の弟子たちは、主君イエスさまの復讐を誓ったりせず、絶望悲観してしまうのです。

 3年半の間、主の召しに従って、共に歩んできた弟子が、イエスさまが十字架に直面した時に、その主を見捨てて、逃げたのです。人を恐れ、伝統を恐れ、先祖伝来の宗教を恐れたからでした。それにしても何と意気地がないことでしょうか。
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 赤穂浪士の様に、主君の仇を打って、恥を雪(すす)ぐことなどせずに、ローマ皇帝を、ユダヤの議会を、いえ人を恐れてしまい、逃げたのです。あの弟子たちだけではなく、私たちも同じ様に恐れるのです。この世間を、この社会の敵になり、仲間外れになるのを恐れるのです。

 敗北者として、彼らは、自分たちの故郷のガリラヤに帰り、元の漁師の生活に戻り、湖で網を再び打ち始めます。ところがイエスさまは、死と墓とを打ち破って、蘇られておられたのです。そのキリストが、ガリラヤ湖の浜辺で魚を焼いて、食事の用意をされて、彼らが漁を終えて、浜に戻るのを待っていたのです。

 そう、復活されたキリスト・イエスが、彼らの目の前に顕れたのです。夢敗れ、敗北者のようにして、ガリラヤに帰り、もとの漁師にひっそりと戻り、隠れるようにして生きようとしていた彼らに、甦られたイエスさまは、ガリラヤ湖の岸で、弟子たちと共に、食事を共に摂るのです。

 それから弟子たちは、再びエルサレムに戻ります。彼らが共に祈っている時に、約束の聖霊が降って、彼らが異言を語りながら、主をほめたたえ始めるのです。その、「聖霊の力」を得た彼らは、キリストの福音、良き訪れの知らせを語り始め、キリストの教会が誕生するのです。

『イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 するとイエスは、彼に答えて言われた、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天でも解かれています。」(マタイ16章15〜19節)』

 弟子たちの指導的な立場にあったペテロは、十字架信仰、復活信仰をもって、キリストの教会を導いていくのです。もう人も世間も恐れることはありませんでした。ペテロは、イエスさまをキリストと信じ続けて、信徒を生み出し、教会の建て上げに励み、迫害を受け、最後には殉教の死を遂げていきます。

 もう逃げたり、隠れたりすることはなく、雄々しく生きて、主の元に帰って行ったのです。イエスさまが彼に言った様に、「岩」であるペテロの上に、キリストの教会が建ち、天国の鍵を頂いたのです。

 主を否むペテロではなく、臆するペテロではなく、主のゆえに、教会に主に従い通して、殉教していくペテロとされるのです。この十二人の弟子たち(一人は脱落し、一人が新たに加えられました)は、教会の礎石であり、柱であります。もちろん「礎(隅のかしら石)」は、主イエスさまなのです(➡︎詩篇118篇2節、マタイ21章42節)。

 真の武士(もののふ)、忠臣が誰かを、死をもって殉じる物語を書き上げ、映画化したのに興味が湧きますが、仇討ちも、武士の義も、家臣が主君の恥をすすいで、死をもって全うするのは、悲し過ぎます。ところがペテロたちの様に、主のために、託された使命のゆえに、信仰に生き抜いた彼らには、やがて蘇る望みにあるのです。復讐のために生きるのではなく、「神の国」の建て上げにささげた生き方は、将来があり、希望があり、夢もあります。私たちもそんな将来を目指したいものです。

(Christian clip artsのイラスト、ウイキペディアの忠臣蔵を描いた浮世絵です)

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