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『失敗を避けて勝利者になりたい!』と、誰もが願っています。それでも人は失敗をし、国も企業も団体も失敗を繰り返しながら存続してきているのです。確かに、『失敗は成功の母!』なのでしょう。失敗を繰り返さないことこそが、失敗者の行く道なのです。
昨年のMLBの最終戦で、アーロン・ジャッジが、打者のボールを補給し損なって、落球してしまったのです。ランナーの動きを気にして、一瞬目線がボールから離れていました。それで、正確に補給できず、それが大きく原因して、チャンピョンシップを逃したのです。誰がジャッジをジャッジできるのでしょうか。誰もいないはずです。
高校時代に、そうしても避けられない事態が起こったことがありました。母が交通事故で大怪我をして、担ぎ込まれた病院での初期手当てが不十分で、傷口が化膿してしまい、両足切断の危機にあったのです。それで10ヶ月ほど入院生活をし、幸い切断はえ免れたのです。自転車を降りて、路側に寄って、大型ダンプカーをやり過ごそうとしていたところを、すれすれを通って行った車輪のボルトで、両足に深い傷を負ってしまったのです。
母の入院で、家には父と弟と私がいました。兄たちは、静岡県の島田と千葉に就職していて、家にいませんでした。父が、会社を部下に任せて、家事をしてくれたのです。母の必要に届くために通院したり、中・高生の二人の食事の世話をしてくれていました。私は、それを見かねて、クラブを休部したのです。
私のいたクラブは、卒業生たちがインターハイでも国体でも何度も優勝していた名門校だったのです。練習がきつくて、入部者が少なかった関係でですが、センターフォワードを任されていたのですが、やむを得ませんでした。その年の夏の大会では、東京都予選の決勝で都立のライバル校に負けて、全国大会を果たせませんでした。
伝統ゆえの厳しい練習で、全国制覇を期していたのです。日没の薄暮の中、ボールに石灰を塗ってまでして、仄暗い中をパスやシュートの練習をしたのです。水も飲めませんし、お腹は空くし、それほどの練習を積んだと言う自負心で大会に臨もうとしていました。それが自信につながるからです。精神性を高める監督の策だったのでしょう。ところが2年連続で、インターハイと国体に出られませんでした。そんな苦い経験があったのです。
誰もが失敗するのです。必要なのは、寛容であって、裁きではないのです。誰も裁くことはできません。プレッシャーに勝てないと、自分の人生の勝利者にはなれないのです。それはスポーツの世界だけではなく、信仰の世界も同じなのです。
『私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(新改訳聖書 ローマ8章35〜37節)』
あのニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジは、生まれて2ヶ月目で、養子に出されています。養父母の元で育った彼は、自分の過去を、『神さまがぼくたちを引き合わせてくれたのです!』と、受け止めたのです。もう運命の悪戯などではないという無言の告白でした。唯一の父と母こそ、この養父母だと、自分の出生とその後のことを、事実として受け入れたのです。そしてベースボール・プレーヤーとなって、ヤンキースの花形選手となっているのです。
今季のアーロン・ジャッジは、今日の時点で、打率3.54ホームラン6本の成績だと、ニュースは伝えています。今年も大谷翔平と競っていくことでしょう。ご両親は、「善良な人間」になることを願って、彼を育てたそうです。生みの親ではないことを知っても、アーロンは両親への感謝と尊敬を失っていないのです。彼は、クリスチャンであることを告白する大リーガーなのです。
失敗は避けられませんが、それを超える力を、神さまは用意しておいでです。そして、「圧倒的なえ勝利者」とされるのです。
(ウイキペディアのMLBの試合、511勝の名ピッチャーのサイ・ヤングです)