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「卓袱台」と書いて、『ちゃぶだい』と読みます。われわれ時代は、テーブルではなく、これが食卓だったり、宿題をする机代りだったり、母親が、洗濯物を畳んでは置く台だったり、時には、電球をつける足台にしてしまったりの万能家具だと言えるでしょうか。そのちゃぶ台をひっくり返すのを、【ちゃぶ台返し】と言って、昭和のお父さんは、それをやっていた様です。
まさに、「昭和のパフォーマンス」の一つと言えるでしょうか。自分の父親も、この、ちゃぶ台返しを演じたことが、一度だけあったでしょうか。だれかの悪戯が原因だったと思います。さすが、自分は、もったいなくてしたことがありません。でも、やったら気持ちが、スカッとしそうで、けっこうよさそうですね。
テレビやマンガの中では、そんな場面が演じられることがありますが、物不足の時代に、そんなもったいない行為は嫌われたわけです。今では、テーブル返しになっていて、ちゃぶ台なんていう代物は、お目にかかることがなくなってきていて、〈昭和の家具〉になっています。
畳の上で食事をするという文化は、もう過去のものになってしまっていて、Pタイルの様な床の上に置かれたテーブルの周りに、椅子を置いての食事スタイルが、もう一般的になっているのでしょうか。昭和の短気なゲンコツ親父がやった行為でした。
やった方は気持ち良くても、やられた子どもたちは、食事をなくしてしまい、不評を買わされた家族は、食べ物がなくなって、怒りが込み上げてきたのでしょう、やった父親は、溜飲を下げて、ストレス解消しますが、非生産的な行為だったわけです。
アメリカの西部劇で、家庭内の行為ではなく、酒場のシーンで、話がもつれ、衝突で怒った悪漢同士が、拳(こぶし)を固めて殴り合いをする前に、テーブルを蹴り上げたり、押し倒したりする場面を見たような記憶があります。短気な輩は、アメリカにもヨーロッパにも、どこにでもいます。
昔、知多半島(愛知県)の小野浦の千石船が、鳥羽から江戸に米を運んでいた時、嵐に遭遇します。遠州灘で漂流を始め、アメリカ大陸北西部のケープ・アラヴァに漂着したのです。その時、乗組員の中で、音吉、岩吉、久吉の若い三人だけがが生き残るのです。その三人の漂流を取り上げて、三浦綾子が、「海嶺」という小説を書き上げ、後に映画も制作されます。その映画を見た時のことです。
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この三人は、マカオで、オランダ人宣教師のギュツラフが、聖書を日本語に翻訳する手助けしたのです。彼らがが、どこにいく時でしょうか、船の中で、欧米人同士が喧嘩をする場面がありました。言い争いをしていて、彼らは二人とも手を出さないのです。体をぶっつけ合うだけでした。その場面を見て、意見が衝突すると、きっと殴り合いや物の投げ合いなどが、日本では相場なのに、彼らは、拳を振るわないで、喧嘩をするのには、驚きました。
日本でも、中国の華南の街でも、市場の入り口や道路上などで、喧嘩を見ましたが、みんな殴り合い、取っ組み合い、女性同士などでは、毛を引っ張り合うのです。そんな違いに、感心してしまいました。人の性情は、国や人種にはよらないので、ヨーロッパ人も、あのテーブル返しをするかも知れませんね。
(ウイキペディアの卓袱台、adobe Stockの千石船です)
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