アメリカ映画が、その意味深い原作、規模、華麗さ、演出の巧みさ、個性的な俳優たちでした。ただの娯楽でも、アメリカ文化の宣伝だけでもlなく、世に問題を問い、人のあるべき生き方、明るい将来などを提供してくれたことが、ここ日本でも、高い評価を下されたのです。
「エンターテイメント(entertainment)」や「もてなし」だけでなく、「思想」や「夢」や、「将来」が、スクリーンに溢れていたように思えたのです。とくに、立川の映画館で観た、「ジャイアンツ(Giant)」には圧倒されたのです。アメリカで、ジョージ・スティーヴンスが監督をし、莫大な額の制作費で製作され、 1956年の10月に公開されています。日本では、翌1957の暮れに公開されていたのです。
母の所属した教会を始められた方が、テキサスの出身だったと聞いていましたので、当時、アラスカは、まだ準州でしたから、最大の州は、このテキサスだったのです。そのテキサスを舞台にした、壮大な30年間の牧場主のベネディクトとジェットとの生き様が描かれていました。
東部から、花嫁を連れて、個人所有の列車で、私有の大牧場を横切る大パノラマでした。大邸宅の庭ででしょうか、子牛が一頭、バーベキュウされている場面は、もう羨ましくて、ヨダレを出しながら食い入るように観て、アメリカの物量の凄に圧倒されたのを昨日のように覚えています。まだ、和牛ブランドなどが出現する前のことでした。
1952年に、エドナ・ファーバー(Edna Ferber)が、執筆した小説の映画化で、小説の題名も、「ジャイアント(Giant)」でした。使用人ジェットの所有地から、オイルが噴き出す場面にも圧倒されました。彼は、オイル王の大富豪になるのですが、多くの招待客のあった大パーティーで、白髪になっていたジェットが、酔いながら話をする場面で、そのテーブルに倒れ込む場面がありました。若干24才のJimmyの演技の素晴らしさも圧巻でした。
こんな国に宣戦布告した日本が、勝てなかった理由が、この映画を見た中学生の私を納得させられたのです。あの戦争に負けた現実を、まざまざと思わさせられた映画でした。それ以上に、人種的な差別や偏見のあった現実も、この映画は取り上げていたのです。私たちの国でも、アイヌのみなさんや、逃散したみなさんへの偏見があったことも忘れてはなりません。
牧場主夫妻に、子どもが与えられ、家族旅行をしているときに、レストランに入ったのです。賑わっている店に、メキシコ系の老夫婦と娘とが入って来たのです。店主は、その様子を見ている間に、三人は、席に着きます。するとエプロン姿の屈強な店主は、その席に近づいて、出ていくようの鋭く語り、テーブルの上に置いた帽子を、老人の頭に被らせ、むんずと肘を掴んで立ち上がらせます。老人は、お金を見せるのですが、有無を言わせません。
その様子を見ていたのが、あの牧場主、初老になっていたベネディクト夫妻と娘と息子の嫁と孫でした。席から立ち上がったジョーダンは、『おい、あんた!』と、オーナーシェフに声を掛けながら近づくのです。話している間も、コック姿の店主は、席から立ち上がらせて出そうとします。それを許せなかったジョーダンは、大男に、一発のパンチをかますのです。
この映画の主題曲が流れる中、二人の大男は殴り合いを繰り広げます。形勢は、ジョーダン不利で、シェフの大男がついに殴り倒してしまったのです。その場面を観ていて、メキシコ系やアフリカ系のアメリカ人への長い人種差別や偏見の様子を目の当たりに見せられたのです。まだ公民権運動など起こる以前のアメリカの南部で、しかも奴隷制の行なわれてきたテキサスを舞台にした、ジョーダンのメキシコ人家族を庇おうとした勇気に喝采をしたのです。
実はジョーダンの息子の夫人は、メキシコ系の方で、孫も、その血を引いていたのです。家族への思いも重なって、ジェッとにも殴られ、また大男にも殴られているジョーダンの気持ちが素敵でした。喧嘩だけは強かった自分が、変わって、この大男を殴り倒したい気持ちが湧き上がってしまっていたのです。
また成り上がりの石油採掘者のジェットと大富豪のジョーダンとの若い頃からの30年にも及ぶ確執も、この映画の観どころだったでしょうか。大きなパーティー会場に舞台裏で、ジョーダンとジェットの喧嘩の場面もありました。物凄い量のワインを収めたワイセラーが倒れ込んで、割れていく様子には、度肝を抜かれたのです。
まだ泥沼のように長引いたベトナム戦争の始まる前の映画でした。自分の育った街は、大きな米軍の空軍基地のあった街の隣にあったのです。米軍機の爆音が頭上に響き、時には河川敷にジェット機が墜落し、破片拾いに出掛けていましたし、基地の司令官の住宅も、自分の住んでいた家のすぐそばにありまました。最初に覚えた英語が、〈give me chocolate〉だった世代の自分でした。
大男のオーナーシェフが、ジョーダンを殴り倒したときに、壁にかかっていた額(we reserve the right to refuse service tore anyone が記されてありました。その訳は、『私たちは、すべての人のサービスを拒否する権利を保持します。』でした)を取って、横たわるジョーダンの胸の上に置きました。『俺にだって、客を断る権利があるんだぞ!』と言っていたわけです。
アメリカ人が持つ権利と、アメリカ人の良識が衝突しているのでしょう。アメリカ映画に、娯楽以上のものがあった時代の輝きが、この映画にはあったように思えるたのです。中学生では分からないことが、今になって分かったことでもあります。65年ぶりの映画鑑賞でした。
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