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ミニサボテンが、一昨日咲きました。ご覧のとおり、綺麗です。母体のサボテンには、トゲがあるのに、花は可憐で、清楚で、トゲが見られません。
ここに住み始めてから間もなく、自治会のラジオ体操があるのを誘われて、参加し始めました。たまに、夏休みになった小学生が参加することがありますが、ほとんどは、老人たちが集っているのです。小学校の頃にやった、第一体操と第二体操を連続してやります。
何十年もやらなかったのに、体が覚えていたのが不思議でなりませんでした。小学校の頃に、全校生徒で、ラジオ体操の時間があって、なぜが朝礼台の上に立って、全生徒の前で、やっていたのです。何の役にもつかなかった、16年間の学校生活の中で、唯一の役を与えられていたのです。
そんなことで、日曜日の朝7時半開始のラジオ体操は、唯一、この時だけ飛び跳ねたりしているのです。悲しいのは、一人、また一人と、亡くなられる方がいるのです。寂しい思いをしますが、みなさん自分に定められた人生の旅を終えられたわけです。
その中に、床屋さんがいました。学童疎開で、東京からやって来た子どもたちが、住んだ山間の村のお寺に、時々、ここ栃木から出掛けては、子どもたちの頭髪を刈るボランティアを、お父さんがしていたのだそうです。その方が、ポツッとそんな話をしてくれました。お店は、今は息子さんの代になっているのlです。
この方のお父さんの故郷には、関東の名刹、出流山万願寺があるのです。今から150年前に、明治維新前後に、水戸の天狗党が立て籠って、そこから下山して、ここ栃木にやって来て、刃を交わしたのだそうです。その寺の門前に、お蕎麦屋さんがあり、秋の新蕎麦が出回る頃に、ラジオ体操仲間が、市営バスに乗って出かけるのは、毎年の恒例になっているのです。その出流山の終点のバス停に、大輪の皇帝ダリアが咲いていました。
その蕎麦会に、この街の古老、長く県の農政部で働かれた方がおいででした。ご自分で育てられた、シンビジュウムの鉢植えを何度か頂いたのです。なかなか育てるのが難しく、枯らしてしまったのですが、このミニサボテンも頂いたものなのです。そして、何度目かの夏を迎えて、今年も咲いたのです。株分をしては、お分けしてきました。
人は去り、愛でて育てた鉢植えは残り、人の目を喜ばせてくれます。子分けした鉢に中で、もう咲いた花もあるかも知れません。花は、いのちを受け継ぐのですが、神さまの最高傑作である私たちは、一度きりの人生を生きています。あの人この人、みなさん去りましたが、クリスチャン、神の子とされたみなさんは、主の声を聞いて甦り、永遠のいのちに、生き続けられるのです。聖書が、そう約束しておりますから。
(ベランダのミニサボテンの花、出流山の皇帝ダリアの花です)
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