「もみじ」

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小学校の運動会が終わった二学期のころでしょうか、音楽の時間に、二部輪唱で歌ったのが、「紅葉(もみじ)」でした。作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一で、実に懐かしい歌です。

1 秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)
  濃いも薄いも 数ある中に
  松をいろどる 楓(かえで)や蔦(つた)は
  山のふもとの 裾模様(すそもよう)

2 渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
  波にゆられて 離れて寄って
  赤や黄色の 色さまざまに
  水の上にも 織る錦(にしき)

信州長野の「梓川」や、利根川に合流する北関東の「渡良瀬川」の川沿いに見られるような、燃えるような紅葉は、私たちが小学時代を過ごした東京都下では見るができませんでした。生まれてから六才まで育ったのは、中部山岳の山深い村でしたが、幼い私には、まだ「紅葉」に感動するような感性は育っていませんでした。ただ、山路を歩いて、カサカサと落ち葉を踏んだ音と、枯葉の匂いの記憶が残っているだけです。冬と夏を挟んだ 「新緑の春」と夏と冬を挟んだ「紅葉(こうよう)の秋」は、日本が一番美しく彩られ季節です。

先日、遊びに来られた学生さんが、故郷の「四川省」の美しい観光地を紹介してくれました。それで、ネットで検索してみたのです。私の上の兄家族が住んでいる東京郊外と同じ名称の町で、「稲城(いなぎ)」です。省都の成都からは、だいぶ離れたところで、チベット族が住み続けてきた地域で、その景観の美しさで、観光開発されてきているようです。もう何年も前に訪ねたアメリカ合衆国の「モンタナ州」のミズーラという街の近くの大自然に、とても似ているように感じられたのです。写真でしか見ていませんが、実際にこの目で、その景色を見たら、きっと息を飲むような感動に包まれるのではないでしょうか。写真をアップして見ますと、どうも秋が綺麗なようです。

私たちの住んでいるのは、華南の街ですから、亜熱帯気候で、冬も青い葉が茂り、花でさえ咲くほどです。「もみじ」は、すこし山深いところに分け入ったらみられそうですが、街場ではむりのようです。来年の秋に訪ねらたら、「もみじ 」の歌を歌ってみたいものです。そこには、松や蔦や楓などの植生があるのでしょうか。そろそろ自然界は、これから休息の季節に入っていくように感じられます。

(写真は、「楓<かえで>」です)

大陸的

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「嚏」と書いて、「くしゃみ」と読みます。難読漢字の一つです。中国語では、「喷嚏penti」と言いますから、日本語では「当て字」なのでしょう。隣りの室から、時々、「ハクショーン!」と大きなクシャミが聞こえてきます。家内です。「遠慮ないくしゃみ」でして、日本にいた時にはこんなに大胆ではなかったのです。こちらに来て、ご婦人たちが口に手を当てて、「クシュン!」すると思っていたのです。ところが、隣りの家の「ハクショーン!」を聞いた家内が、それを真似し始めたわけです。「ほんとうに気持ちいいの!」と言ってやめません。

「人に、どう思われるか?」などと言うようなことは考えないで、こちらの人は、自然体で生きているのは、素晴らしいと思うのです。まさに「大陸的」な大らかさや屈託のなさです。とくに生理的なことには、日本人がコントロールして、抑えてしまうようなことをしません。「どうしようか?」と言って、周りを気にしたりされないのです。ですから「屁(おなら)」や「欠伸(あくび)」だって自然体です。人の生理現象が、どうであっても天下国家には関係がないわけです。もし難しい問題が起こってしまったら、広い大陸ですから東西南北、どこにでも新天地を求めて移り住むことができるのです。閉鎖的な村社会に住み続けてきた私たち日本人は、そう容易に他に行くこことはできなかったわけです。

中学の時の担任で社会科の先生が、「鎌倉時代の日本人は、もっと大らかだった様です!」と言っていたのを覚えています。戦乱で明け暮れた戦国時代、耕した畑や、稲の苗を植えた田んぼが戦で踏み荒らされてしまうことが繰り返されたのですが、狭い日本では、どこにも移住できずに、じっと「我慢の子」だったわけです。中国の南方に、「客家(kejiaクウジア)」と呼ばれる人たちがいます。その意味は、「よそ者」です。北方中国で繰り返された戦乱を逃れた「漢族」の末裔です。彼らの一部が作った「土楼」が、福建省や広東省や江西省に散在していて、「世界文化遺産」に登録されているところもあります。城壁のように土壁で周りが作られ、多くの人たちが集団で住む集合住宅なのです。驚くほどの知恵と工夫が施されています。今でも住居として使用されていて、漢族の聡明さを感じさせられるのです。

狭いところに住んでいても、心が狭くならなかったのでしょうか、そこから飛び立って東南アジアに働きに行った人たちも多かったようです。客家人の中には、中国の政治指導者の鄧小平や李鵬、台湾の李登輝、シンガポールの「建国の父」と呼ばれる、李光耀(リクワンユー)、フィリピンのアキノ元大統領などのお歴々がいます。中国では少数者ですが、影響力の大きな民であるのです。私たちの住んでいる街にも、この方たちの故郷のレストランが、あちらこちらにあります。

日本の様な狭い国の中で、気ばかりを使って生きてきた人には、住んでみることを心からお勧めします。夏など、木陰の路側のコンクリートの上や、電動自転車の上で、スヤスヤと寝ている人を見かけます。お店の店番をしていても、いびきをかいている人だっておいでです。まあ、日本では、キリキリ神経が張り詰めていて、こんな自由で放心したような光景は見ることができません。お出でになられると開放されて、「住んでみたい!」と思われること必至です。「人情」も日本に似ておりますので。「嚏」も「欠伸」も「オナラ」も見逃してくれます!

(写真は、福建省にある「土楼」の一つです)