ちいさい秋

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「四季の歌」の「秋」を歌う歌詞に、

秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人

とあります。与謝野鉄幹は、「人を恋うる歌」の中で、

ああ われダンテの 奇才なく
バイロン ハイネの熱なきも
石を抱(いだ)きて 野にうたう
芭蕉のさびを よろこばず

と歌っています。ハイネの詩は、明治以降の近代化の中で、多くの若者に好まれたようです。しかし、青年たちを啓発して、夢や理想を詠み込む詩ではなく、「恋愛詩」を作ったのですが、当時の大人は、「何と軟弱な!」と感じたのではないでしょうか。与謝野鉄幹も、ご婦人には至極甘かったようですし、政治でも教育でも実業の世界でも、指導的な立場にあった人たちの多くもまた、鉄幹に似た生活をしていたようです。それを「よし」とするものが何時の世にもあるのでしょうか。

「秋」は、「物思う季節」だったり、「人生を探求する季節」なのではないでしょうか。作詞がサトウハチロー、作曲が中田喜直の「小さい秋見つけた」は、

1 だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた
  目かくしおにさん 手のなるほうへ
  すましたお耳に かすかにしみた
  呼んでる口笛 もずの声
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

2 だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた
  お部屋は北向き 曇りのガラス
  うつろな目の色 溶かしたミルク
  わずかなすきから 秋の風
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

3 だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた
  むかしのむかしの 風見の鶏 (とり) の
  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつs
  はぜの葉赤くて 入り日色
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

です。実に素朴で、ホッとさせられる詩ではないでしょうか。この歌に出てきます「だれかさん」や「鬼さん」の顔を、真っ赤な夕日やモミジが照らしているように感じられるのです。広場に集まって、「鬼ごっこ」や「宝とり」を、キャアキャア言いながら集団で遊んだのは、つい昨日のようです。そういえば、「集団遊び」も「広場」も、日本では見られなくなりました。ここ中国では、夕方になると、幼稚園くらいの子どもたちが、さまざまに掛け合いながら遊ぶ声が、アパートの壁に反響して聞こえてきます。ずいぶん影が長くなってきて、ここ華南の地も、もう「ちいさい秋」です。

(写真は、中国四川省稲城の「秋」です)