人間観察

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「初めての親」を1972年の5月、27才の時に始めました。彼を見た時に、その小ささとか弱さと「いのちの神秘」さに驚かされ、その「責任」の重さに圧倒される ほどでした。父母に育てられながら、親を見て、触れて、感じてきたのですが、自分が親になったことの「歯痒さ」もありました。私は、就学前に肺炎を病んでから、小学校の低学年の間、自分が病弱だったことから、両親に甘やかされて育てられたので、多分に我儘でした。自分の中では、両親は、「甘やかしてくれる親」だったわけです。今思い返して見ますと、あふれるほどの愛情と関心を受けたことは、「特権」だと思うのです。「特愛された子」の安定があるように思っています。通常、最初の子と「末っ子」は、愛情を親から格段に受けるのでしょうけど、私は三男でありながら、親の愛を独占したようです。もし祖父母がいて、忙しい両親に代わって育てられていたら、取り返しのつかない「我儘だらけの孫」になっていただろうと思うのです。ところが、両親は「子育て」に責任をとってくれたのです。過分に「拳骨(げんこつ)」が浴びせかけた父でしたが、総じて評価すると、「最高の父親」だったのです。

先日、連休中のスーパーで、買い物を済ませ、スナック・コーナーでお茶を飲みながら、「人間観察」をしていました。お婆ちゃんやお爺ちゃんと一緒の子どもたちの言動は、「一人っ子」の特徴と、祖父母の養育の影響が感じられてならなかったのです。彼らのしている「嘘泣き」や「駄々をこねること」や「注意を聞かないこと」は、私の父には通用しませんでした。すぐに「ゲンコツ」が飛んできたからです。寵愛を受けていた私も例外ではなかったのです。先日、「私の子育て中には、時々、<鞭(むち)>を使っていました!」と、若い親御さんたちの中で話したのです。「不従順と約束不履行、不当に怒りをあらした時に、そうしました!」、「手ではなく、それなりに用意した<愛のムチ>でお尻を!」打ったことも、話に付け加えました。祖父母は鞭を使わない方が好いのですが、親が使うことを勧めたいのです。私は、「懲らしめ必要論者」です。子どもたちの心にある「反抗心」は、砕かなければ、それが増長していくからです。私に多くのことを教えてくださったアメリカ人実業家は、このことも教えてくれたのです。こちらの家庭や「子育て」」ぶりを見ていますと、祖父母に一任のように見受けられます。思春期の若者の暴走は、アメリカや日本だけのことではなく、こちらでも、たびたびニュースになっています。

「たびたび窃盗をしていた!」子が大人になって、同じ事件を犯しました。親御さんは、自分の養育責任の間に、事件を教訓に、子を懲らしめたり、責任をとらすことをしないばかりか、事件のもみ消しをしていました。蔑(ないが)しろにしてきた「盗癖」が増幅し、熟成されて、衆目の前に晒されてしまったわけです。だから「親に恥をかかす子」に生長してしまったことになります。人は偶然に罪を犯しません。初めは微細で軽微な過ちなのです。それが放置されている間に中程度の過ちになり、やがて「国法」を破る重犯罪になってしまいます。「痛さで教える躾」は、子供の頃以外にできません。「年をとった犬に芸を教えることはできない!」のは、この世の哲理です。

自分の歩いてきた道を振り返りますと、「恥の体験」が溢れるほどあります。その数々は、「好かったことです!」と断言できます。赤っ恥をかいて、何度首をすくめては、「恥をかかないように生きよう!」とか、「親兄弟に恥をかかせないようになろう!」と決心できたからです。時々思い出して、「誰か覚えてる人がいないか?」と辺りを見回してしまうほどです。「切れる老人」が増加してるのだそうですが、糖分の摂取を当分ひかえて、「静かな心」で、人生の「秋」を生きたいと願う「神無月(かんなづき)」です。

(写真は、四川省の稲城の「秋の風景<2>」です)

「たけなわの秋」

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最後の「月餅」を冷蔵庫から取り出して、遊びに来ていた若者と、三分の一づつ食べました。私たちの中国滞在のために、いろいろと助けていてくださる方が、大きな製パン業をされていて、その工場で作られた物でした。私たち日本人は、「これ、つまらない物ですがおひとつ!」と言いますが、「私たちの月餅は、とても美味しいんです!」と言って、ご夫人が「中秋節」に、わざわざ二箱も持って来て下さったのです。自信作の「月餅」は、本当に美味しかったのです。

この年齢になると、「羊羹」とか「どら焼」とか「きんつば」を、渋茶で食べたくなるのです。以前、家内はあまり好まなかったのですが、最近では嗜好が私に似てきているようです。「甘党」の父似で「餡(あん)」で作られた和菓子に目のないの私に慣らされたのです。この「月餅」は、型で焼かれた外形は、みな同じですが、味や餡は様々です。どの「月餅」も、「中秋の名月」を象った卵の黄身(加工してあります)が入れられてありまた。しかし頂いた内の一箱lは、「パイ生地」に独特な餡が入っていて、東京の、和洋折衷のケーキに食感が似ていていました。今まで食べたもの中で一番美味しかったのです。

「十五夜」に、父の家では、普通の家庭がするような、野原に生えているススキや月見団子や栗などの果物を、月に供えることはしませんでした。そう言えば父の家は、季節行事とか宗教行事をしなかったのです。父も母も超然とし、それを好まなかったからだったからでしょうか。どの家でもすることを、しないでいても平気だったのは、当時では珍しいことだったのです。だからと言って、私たち四人兄弟が、社会性や情緒面に欠けていたことはないと思うのです。でも団子だけは食べたのを覚えています。それよりも何より、当時、一般家庭では口にすることのなかった「ケーキや「かつサンド」や「あんみつ」を食べさせてくれましたから、お腹は大喜びでした。

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実は、この八月に、こちらに戻ってきた時に、渋谷の「東急のれん街」へ出掛けて買った、製パン会社の社長さんへのお土産を持ち帰ったのです。「虎屋の羊羹」でした。「これなら口の肥えた彼とご家族にも喜ばれるかな!」と思ったからでした。家内にも買ったので,旅行カバンが重くて難義してしまいました。彼らは、私たちが儀礼的に言う、「この間は、美味しい物をご馳走様でした!」との言葉は、中国のみなさんにはありませんが、かんしゃはあふれています。家内は、夢に見るほどに懐かしい味に、「ありがとう!」と喜んでくれました。

天津にいました時に、アメリカ人のご家族が食事に招いてくれたことがありました。奥様は台湾の出身で、台湾料理でもてなしてくれたのです。その帰りに、「これ、貰い物なのですが・・・」と言って頂いたのが、「虎屋の羊羹」でした。「異国で虎屋!」に大喜びしたのです。それ以来、「虎屋フアン」になってしまった私たちですが、そうたやすく食べられるほどの値段でないのが、玉にキズです。

「食欲の秋」、今朝方の気温は、20度を切りましたので、まさに「たけなわの秋」です。日中は夏、夜間は秋と言った季節感のここ華南の街です。秋の連休、街ゆく人の顔は、緊張感のない「休みの顔」をしておいでです。私は、来週の金曜日まで休みになっています。一週間ほど前に分かりましたが、もっと早く分かっていたら、いろいろと計画できたのですが。「今日は、何をしようか?」の一日になりそうです。「紺青」とか「碧空」という言葉をつけるに相応しい秋空です。

(写真上は、四川省の稲城の「秋の風景」、下は、「羊羹」です)