「雑草魂」

20131008-100135.jpg

「雑草」とは、yahoo辞書によりますと、「1 自然に生えるいろいろな草。また、名も知らない雑多な草。2 農耕地や庭などで、栽培目的の植物以外の草。3 生命力・生活力が強いことのたとえ。「―のようなしたたかさ」」とあります。道端に生いいでている草は、踏まれても踏みつけられても、「なにくそっ!」と立ち上がって生き続けるのです。よく「生命力の強さ」の象徴として語られます。種田山頭火が、

秋となつた雑草にすわる

ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ

と、詠んでいます。ずいぶんと下向きな俳句で、山頭火という人の生き方が、何となく分かるようです。メジャー・リーガーに上原浩治という、レッドソックスのピッチャーがいます。彼のことを、「雑草魂」の持ち主だというそうです。 六年前に渡米して、三つのチームを渡り歩いて、今年「抑え投手」として、地区優勝に大きく貢献しました。故障の多い選手でしたが、今年の活躍は見事で、今や話題の中心にいます。彼も無名高校で野球をし、将来は体育の教師になりたくて大学進学を志すのですが、受験に失敗します。一浪して、大阪体育大学に入ってから、外野手から投手にコンバートしたのでした。ジャイアンツで活躍しますが、彼の「野球観」とプロ野球との違いに傷ついた過去があっての今なのだそうです。

日の当たる道を歩み続けるよりも、人生というのは、道端の野草や雑草のようにして生きた方が、強靭な精神を養うのではないでしょうか。同じ山頭火の句に、

あるがまま雑草として芽をふく

と詠んだものがあります。野辺の道行きを好んだ山頭火の目は、名のない雑草に向けられています。十歳の時、母の悲劇的な死の姿を目にして、大人になります。早稲田に学んだのですが、病んで中退しています。幼い日の母との死別の悲しい衝撃が、彼を旅と深酒とに逃避させますが、俳句を好んだのです。そこにだけ正直な心を読み込むことができたのでしょうか。自分の心を、一枚、また一枚と脱ぐようにして生きた、五十年あまりの生涯だったようです。上原浩治のことを考えていたら、山頭火に思いが向いてしまいました。彼も雑草のように強く生きることができたにちがいないのですが。「雑草魂」、好いですね!

(写真は、雑草の一種の「うまごやし」です)