口撃?好撃!

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「どんな躾をしてるんですか?」と、受話器の中で怒った声で非難してきた方がいました。娘が通っていた幼稚園の園児のお母さんでした。私の娘が憎くて、邪魔でしょうがないと言った雰囲気がこもった声だったのです。四人の子どもたちの子育て中に、いろいろと<口撃>されたことがありましたが、「我が家の子育てに欠陥があるのだろうか?」と思わされるることがいくどとなくあったのです。家内も私も、そんなことを聞いても馬耳東風でいられました。育児ノイローゼ に悩むことがないほど、あっけらかんと、<好撃>に換えてしまったのです。

長男が幼稚園にいた頃にも、それに似たことがありました。彼の担任が、「この子は異常です!」と園長に訴え、その旨、園長が知らせてきました。「今度、大学の幼児教育の専門家を呼んで、面接をしてもらいましょう!」とにこやかに園長が連絡してきて、その面談が行われました。「この子は成長したら、面白い子になることでしょう!」という結論でした。実は、長男にはリーダーシップがあったのでしょうか、園庭で遊んでいると、クラス中の園児が、長男が右から左に走ると、その後を追って走るというほどだったのです。担任のいうことを聞かないで、長男に従ってしまうにで、クラスを掌握できない新任の担任が、悩んで訴えたのでした。

親の欲目でしょうか、我が家の子は、「個性的」に生きていたのです。テレビを買ったのは、長女が、「高校受験の勉強のためにテレビの講座を聞きたいの。だからテレビを・・・」と言ったから、節を曲げたのです。押し付けの一方的な情報を受けなかったことと、何でも買い与えないで、必要な時まで待たせたことなどから、自分で工夫をして遊び、生きていたのだと思います。そういったことが、級友たちには、きっと魅力的だったのだと思います

次女は、授業が始まると園庭に出て行って、遊具にのって自在に遊んでいたのです。それで担任に怒られ、親の私たちにも、「Nさんは・・・!」と注意勧告がくるのです。娘に聞くと、「あたしが休み時間に遊具を使うと、ほかのお友だちが使えないから、あたしはみんながいなくなってから・・・」と、何故かを言ってくれたのです。また、クラスで絵を描く時も、作業の遅い子の手伝いをするオッチョコチョイで、自分がする時間がなくなってしまって、結局は先生に怒られるというパターンで生きていました。そんな理由を聞いていましたので、「まあいいか!」ということで押し通したわけです。

この子は目立ったのです。幼稚園の頃のスナップ写真を、園長や父兄が撮ったものを見ると、いつも、この子が先頭にいるのです。目立たない子の親は、比較してみると、きっと我が子の不甲斐なさの原因は、私たちの子にあるということでの口撃だったに違いありません。長女もリーダーシップが旺盛でした。困ってる子の面倒をよく見ていたり、妹や下級生が不当ないじめに会うと、いじめた子を制裁していたほどでした。しかも上級生だってお構いなしだったのです。次男は、音感が良くて、優しかったのです。食事の時など、話題が暗くなると、「ねえ、明るい話をしようよ!」と、いつも提案する子でした。

子育ては、あれよあれよで過ぎて行き、今は、四人とも、すっかりおじさんやおばさんになってしまったようです。それで、時々、彼らのことを思い出すのですが、「国慶節」の一週間の連休が、なおのこと郷愁の思いを強くするのでしょうか。今は、周りにいる若い友人たちの子育てを眺めていることが多いのですが、夕べ会ったご夫婦には、小6の女の子と、小4の男の子がいます。娘はお母さんに似て優しく、息子はお父さんに似て剽軽(ひょうきん)なのです。彼らにも、「子育て」を楽しんで欲しいと願う十月であります。

(写真は、幼稚園や公園にある「ブランコ」です)