しっかりネクタイをしめて出勤、授業が終わって、のどの周りに窮屈さを感じたので(と言ってもネクタイが嫌いなだけした)、ネクタイを外して、ワイシャツのむねのポケットに入れたのです。クラス担任もしていませんでしたので、「これで終わった!」と一段落したからでした。それで職員室に戻って机に座っていた時に、私の真正面にいた教頭に、「先生、ネクタイをするか、何処かにおいた方がいいですね。」と注意を受けました。映画俳優でもありませんし、職場に似つかわしくない服装に見えたからです。「はい!」と頷いた私は、机の引き出しにネクタイをしまったのです。弱冠25歳の時でした。と言っても、国会議員に立候補できる立派な大人の年齢でした。背広に白のワイシャツ、それに地味なネクタイは、教壇に立つ時の模範的な服装でした。
生意気な私は、人生の先輩たち、いわゆる「街のおじさんたち」から、よく「小言」や「注意」を言われたのです。どちらが上か分からないのですが、弟にもです。今になって、その頃のことを思い返すと、生活にけじめがつかないで、だらしなかったのはともかく、「言われ易いタイプ」の人間だったのでしょうか。今でも、慌てて何かをすると、「慢慢点儿(マンマンデアル)」と言われるのです。つまり、「ゆっくり!」との意味です。4歳の私に、母が言っていたのと同じ言葉がかけられてくるのです。すこしも成長も、改善もしていないので、嫌になってしまうことがあります。だから、家内からも少々セーブしながら、言われることがあります。これって、どうも一生のことになりそうです。
現代の青年たちは、我々の時代とは忠告や指示を受けた時の反応に仕方が違うのです。反抗的で、ある時は攻撃的になる傾向があるようです。以前、名古屋の南山大学の林雅代という先生が、NHKのラジオで、こんなことを言っていました。電車に乗っていても、道を歩いていても、若者たちの言動に対して、人生の先輩として大人の私たちが忠告をしたり、叱責しなければならない時には、どう言ったらいいかということことです。一つは、「感情的に言ってはいけない!」、二つは、「注意しない!」ことだそうです。それで、どう言うかですが、三つは、「事実だけを言う!」のだそうです。どうも今日日の若者たちは「幼児的な反応」だったり、「動物的な反応」をするようです。
あの頃に比べて、私が少し改善されているとしたら、あのおじさんたちのお蔭に違いありません。「よその子のことだから、ほっとけば好い!」と無関心を装わないで、敢えて「小言」を言ってくれたからです。「見て見ぬ振りをする!」、こんな傾向にある現代社会で、勇気を持って、自分の子や孫に言うように、「事実」を語れる大人でありたいと思うのです。
(写真は、中国の「霞浦」です)