願い

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この写真は、「外孫」たちの小さなころの後ろ姿です。兄貴が妹をコロに乗せて、家の周りを連れ歩いてるところです。もう二人とも小学生になってしまいました。彼らには、いとこが日本にいて、ほぼ同世代です。私たちの「内孫」になります。曽祖母の葬儀の折りに再会をして、遊んでいるのを見て、血の繋がりの近さをみせていました。自分の子どもたちは、なかなか大きくならなかったように感じたのですが、孫たちの成長の早さには、驚かされます。養育の責任はないし、会うといってもほんのたまなのですから、そんなものなのでしょう。

先日、その長男の息子が、神妙に目をつむっている姿を撮った映像が送られてきました。何かを心込めて決心したと言った「本気顏」をしていて、「わー、成長したんだ!」と思ったのです。まだピカピカの一年生なのにです。ジイジの私など、あの年齢の時には、ハナを垂らして、ボーッとしていて、あんな表情をしたことはなかったのです。感心してしまったのは、ジイジの欲目でしょうか。

異常気象、原発事故の放射性物資の拡散、残虐な事件の頻発、人心の荒廃、人口や食糧の問題、将来への不安、イジメなど、大変に困難な時代を、孫たちは生きて行くわけで、「何をして上げられるだろうか?」と、小さな頭で考えて見ても、何も思いつきません。ただ、「どんなことが起こっても、感謝の心、慌てない冷静さ、勇気をもって問題に立ち向かえる、強い心でいてほしい!」と願うだけです。

"Come back “

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「親分、ポリ公の野郎が来やがりやした!」、日頃、警察官を快く思っていない子分が、親分に、警察官を侮辱語で「ポリ公」と「野郎」と呼び、来たことも「来やがった」と歓迎しない迷惑な思いを込めて言っています。ところが「親分」には敬意を込めて、丁寧に語り掛けているのが対照的で面白い文章です。きっと悪巧みを計画しているか、悪さをした後の話し振りに違いありません。三十年ほど前に、世話をした少年が、警察官を、隠語で「マッポ」と言っていました。

そう言えば、何時の頃からでしょうか、街中や住宅街で、「巡査(警察官の別名)」を見掛けなくなりました。駅前とか、賑やかな所では、「こんなにいるの!」と思うほどいるのですが、住宅街などの「派出所(交番の別名)」には人影がありません。何時でしたか、拾い物をして届けた時に、呼んでも返事のない、不用心な交番がありました。一体、どこに行ってしまったのでしょうか。小学校や中学校に通っていた頃、留守番をしていると、「お巡りさん(警察官の別名)」が、子どの私にも敬礼して、「お母さんはいますか?」と尋ねられたことが、二、三度ありました。母が犯罪を犯したからではありません。そうやって「警邏(けいら、見回ること)」や「巡視(じゅんし)」をしていたのです。地域担当の「巡査」が、住民の安全を確認したり、防犯のために時間を割いていたのです。

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昔と比べて警察官は減っているのでしょうか。それとも、事務的な報告書の作成などの雑務が増えてしまって、パソコン操作などで忙しくなってしまっているのでしょうか、警察官を見なくなっているに気づくのです。地域密着型の警察でなくなっているのです。殺人事件は、駅前とか、飲食街で起こることがほとんどでした。ところが去年でしたか、吉祥寺の住宅街で殺人事件がありました。そして、先ごろ、その隣の三鷹でも殺人事件が起こったのです。こう言った事件と、警察官を見かけなくなってきている傾向と、何となく相関関係があるのではないでしょうか。

「君、幾つ?学生証を見せてください!」と尋問されたことがありました。生意気なくわえ煙草で歩いていた時でした。<未成年者の喫煙>だと踏んでの職務筆問だったのです。私は、やおら学生証を提示したのです。それを確認した巡査(そんなに年齢は違っていなかったと思われますが)は、敬礼をして、「お気をつけて!」と言いました。私はタバコを、「スパッ!と吸って、彼から離れたのです。年齢に見えない「童顔」だったので、これに似たことがいく度もありました。

犯罪が凶悪化していることは事実です。ニュースが伝える殺人事件の多さに驚かされるのです。昔の映画の「シェーン」のラストシーンで、"Come back “と少年が叫んでいました。同じように、「戻って来て!」と、住宅街が叫んでいるのではないでしょうか。お巡りさんが住宅街に復帰することをです。

(写真は、「現在の交番」と「1938年当時の交番」の比較です)