復興を祈ります

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 使徒パウロは、小アジアのピシデアのアンテオケに宣教しています。この街はトルコを横断するアナトリア高原にあるそうです。そこはローマ帝国の植民都市で、ローマに通じる「ローマ街道」の拠点でもありました。パウロはこのローマ街道の近辺に宣教を展開し、いくつもの教会を建て上げたのです。

 アンテオケは丘の上に建てられた、ロ-マ風の街であったそうです。ローマと結ぶ「ローマ街道」は、石畳の道で作られてあり、パウロの伝道一行は、福音を携えて、この道を辿ったのです。アナトリアの高原が広がり、その街があったそうです。その街で、パウロがした、とても印象的な説教があります。下記してみます。

『しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂に入って席に着いた。
律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」
そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。
この民イスラエルの神は、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。
そして約四十年間、荒野で彼らを耐え忍ばれました。
それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。
その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。
それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。
それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』
神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。
この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。
ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は私のあとからおいでになります。私は、その方のくつのひもを解く値うちもありません。』
兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。
エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。
そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。
こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。
しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。
イエスは幾日にもわたり、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに、現れました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。
私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。
神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。
神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える』というように言われていました。
ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』
ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。
しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。
ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。
ですから、預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。
『見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。それは、おまえたちに、どんなに説明しても、とうてい信じられないほどのことである。』」(使徒13章14~41節)』

 

 

 この説教は、イスラエル民族の「救いの歴史」が紐解かれ、イエスさまの十字架の死と復活に至ることを語っています。それは、罪に苦しむ私たちが、その罪から離れて、輝いて生きていくための「罪からの解放」、「救い」の基点だからです。実に重い説教を語って、パウロは、アンテオケ在住のユダヤ人に迫ったのです。

 この説教が語られたのが、この26日に起こった、「トルコ・シリア大地震」で壊滅的な被害にあったトルコ、聖書時代の古代都市のピシデヤのアンテオケ、現在のアンタキア(写真参照)です。トルコは、イスラム教の国ですが、クリスチャンもおいでです。

 地震の被害にあわれた人たちは、数えきれないほど大勢だそうです。家族を亡くされた遺家族の上に平安を祈り、まだまだ寒い地で、復興が急がれますようにと願います。ただ主の恵みを祈ります。

(アンタキアの街、パウロの伝道旅行の街のアンテオケです)

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ご心配なく

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 この29日の夕刻、近くの薬屋の駐車場から車が出て来ようとして、それを交わそうと思う間に追突され、自転車もろとも左に倒され、左足のふくらはぎとお尻を、道路に痛打しました。立てない程度の痛さがあったのです。追突後、車を降りて近づいて来た運転手が、「大丈夫ですか?」と言うのですが、大丈夫ではなかったのです。

 食事に呼んだ知人夫妻とお母さまに、食材を買い忘れていたので、それを買って準備しようとしていたのです。[事故後は警察を呼ぶ]と言う鉄則を守らず、運転者から名刺をもらい、個人の携帯番号を聞き、何かあったら連絡するとのことで別れたのです。  

 家に帰って、足を引きずっている私を見て、家内が、医者に行く様に勧めたので、整形外科に行こうとタクシーを呼んだのです。折悪く近所の2軒の整形外科医が休みで、タクシーの運転手さんが紹介してくれた整形外科に行きました。 

 にこやかな医師が、怪我の様子をエコーで見せてくれ、左足のふくらはぎの筋肉が断裂していました。湿布とバンテージをしてもらい、1週間後に再診とのことで帰ったのです。家に帰ってしばらくして、その運転手から電話で、警察に届けたとのことでした。『現場検証があるので、2130に、現場に来て欲しい!』との連絡を受けたのです   

 再度連絡があって2100頃に、足を引きずって現場に行きますと、栃木警察署から2名の係官が来て、現場検証を30分ほどして帰宅したのです。週明けに、相手の保険会社から連絡がありました。

 寒空に、この歳で、道路に転ばされると言うのは、嫌なものです。子育ての街の端の袂で、右折の車が待っていたので、直進で通り抜けようとしましたら、車の陰から、自転車に乗った女子学生さんが現れ、車で突いてしまったことを思い出したのです。

 私は、この方を医者に連れて行き、診察してもらったのです。幸い、打撲傷で済んだのです。自転車を家に届け、何度かお見舞いに行き、この方の両親と話し合いの過去があったのです。加害者も被害者も、やっぱり事故は起こさないのがいいのですが、不測の事故は、いつでも、どこでもありそうです。

 数日後に、近所の自転車屋さんに、事故車をみてもらったら、四年前に買ったものの後輪が曲がっていて、交換の必要があるとのことです。保険でみてもらえるようです。自転車の便利さを考えると、まだまだ卒業はできそうにありません。そこは、三代目の自転車屋さんだそうで、いろいろ教えていただきました。

 自分で転んだのを含めて、こちらに住み始めて、車から自転車に乗り換えて、実は四度めの同じ自転車からの転倒事故でした。今は、折りたたみの小径自転車がを、自転車屋さんが用意してくれています。

これって、事故とは無関係と思いますが、

 『ブンブンブン、虫が飛ぶ、クレムリンの周りに、ブンブンブン虫が飛ぶ 

と、替え歌を歌っていて、人の不幸を願ってしまったからかな、と自分を責めて、それから反省しているこの頃です。ご心配なく。

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