チュウでいい

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 40数年ほど前になるでしょうか、著名な牧師さんが、説教の中で、こんな話をされました。『日本の企業は、世界中に出かけて行って、その性能の高い製品を売って、莫大な収益を上げています。それなのに、あなたがた日本の教会は何ですか!』と、人数的な成長の見られない日本の教会の小ささを叱責されたのです。

 アメリカの宣教団体から、宣教師がアジア諸国に遣わされています。何年かに一度、宣教師のコンファレンスが行われるのだそうです。インドネシアやタイやフィリッピンで宣教している方々は、何千人、何万人もの会衆を持つ教会を、いくつも建て上げているレポートをされるのだそうです。それに比べて、日本に遣わされた宣教師さんは、誇るべきミッション・レポートを持たないで恥じ入ると言うのです。結果が顕著でないからなのです。でも決して優秀な方が、フィリッピンに遣わされていて、日本には無能な方が送られているのではないのです。

 同じように学び、同じように熱烈な信仰を持ち、宣教地の人々を愛し、宣教の志に燃えて宣教をしているのに、収穫には歴然たる違いが見られるのです。私が、次女の卒業式に出席した時に、娘のホストをしてくださった方と、ある牧師さんを訪問したことがありました。『彼は小さな教会を牧会している日本の牧師なんだ!』と小声で言っているのを聞いてしまいました。10000人ほどのハワイの教会に比べたら、私たちの教会は実にわずかでしたから、当然なのですが。

 石橋湛山が「言論の人」と言う見出しで、地方紙で取り上げられていました。1956年12月から翌年にかけて、63日間の短命内閣の首相をなさった方です。彼が掲げた特徴的な政策理念は、「小日本主義」でした。数の多さや大きさではなく、大切なのは、『良心に従って行動する!』ことだと言う考え方を、札幌農学校の一回生の大島正健(クラークの薫陶を受けた教育者・旧制甲府中学校長)から学びます。

 私が、オレゴン州ポートランド近郊の教会を訪問させて頂いた時、その教会の牧師さんが、『みなさん、日本の牧師さんたちは、霊的に難しい土地で、よく頑張っておられて、感謝でいっぱいです!』と言って、白血病でキモ・セラピーをされておられたのに、握手とハグで歓迎し、滞在中、暖かくもてなしてくれたのです。

 長女が、『お父さん、20年も30年も頑張って来たじゃあない。そして私たちを育ててくれたんだから、感謝でいっぱい!』と、伸び悩んでいる父の私に言ってくれたことがありました。その言葉に、どんなに励まされたことでしょうか。結局、大切なのは、「忠実さ」なのでしょう。すべきことをしているのなら、恥じ入ることはないわけです。

 私たちの交わりの諸教会を建て上げてくださった宣教師さんたちは、「小国主義」の面々だったのではないでしょうか。主の圧倒的な訪れを見ないまま、彼らは天の故郷に帰って行かれました。彼らは、そこで、自分への冠を投げ出していることでしょう。私も、そういった価値観を持つ人々の列伝の中に連なりたいと願いでしょう。       

 韓国の教会の牧師さんは、『キリスト教会は、「大」きいのがいい!』と言いました。日本人の牧師は、『「小」さくてもいい!』と言い合って、両者は教勢論争になったのです。なかなか結論がつかない所に、一匹のネズミが出てきて、「チュウ」と鳴いたのです。それは、《ほどほどでいい》と言う意味ででしょうか。

 数の多さが成功の尺度なのでしょうか。少数精鋭が王道なのでしょうか。我が家の近くに、小さな魚屋があり、美味しく活きのいい魚を、けっこう安く商っていて、人気店でした。ところが近所に大きなスーパー・マーケットが出店したので、この魚屋も、その近所の小売店もつぶれたり、職種を変えて食堂になったりしてしまったのです。大きな勢力の横暴で、小さいものが滅びるのです。

 今も大国志向の国が、隣のかつての連邦国を従えようとする横暴で、銃を持って進軍して、破壊と殺戮を続けています。平和に生活していた人を、苦難に突き落として撹乱しています。戦前の日本も同じでした。そん中で、「小国主義」を掲げた、石橋湛山がいました。勇気ある人でした。歴史は、覇権主義の日本に対して「否」を下したのです。

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悔いと感謝で

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 中学の修学旅行で、京都と奈良に行きました時に、金閣寺が見学コースに入っていました。その寺の賽銭箱を覗き込みましたら、小銭が中に入らなくて、その投入口の途中で躊躇していました。中に入れると、自分が賽銭してしまうことになるので、失敬してポケットの中に入れて、何かを買ってしまったのだと思います。

 『神社の神体には、手も足もないから使うことはできないだろう!』と判断した14才の私は、『俺が使ってあげる!』と言って、無許可で頂戴してしまいまったわけです。その時までも、クリスチャンにされて、今日までも、神社を参拝したことも賽銭をしたこともない私は、その泥棒の償いを、どうしたらいいか迷ったのです。賽銭箱に戻しに行ったら、他人の投げ込んだお金で賽銭してしまうことになってしまう、その〈100円〉が重くのしかかっての今です。

 自分の育った街の駄菓子屋で、キヨちゃんというおばさんが向こうを向いている隙に、お菓子を失敬してしまったことが、小学生のころに何度もありました。クリスチャンになって、伝道者となるために献身しました後、どうも責められて仕方がありませんでした。

 それで、その街を訪ねた時に、意を決して、3000円をポケットの中にねじ込んで、『おばさんの目を盗んで、子どもの頃に、何度もお菓子を失敬したことがあります。その時の代金です。赦してください!』と言って、それを手渡しました。

 キヨちゃんは、驚いたようにして笑い顔で、『そんな、もういいわよ!』と言ってくれました。だからと言って、その行為が、償いになるのか、赦されるのか分かりませんが、法律的には時効になっていても、民事法上は賠償責任があるのでしょうね。

 また母親や父親の財布の中から、小銭をくすねたこともたびたびのことでしたが、そういった盗みの行為は、どう清算したらよいのでしょうか。100円も60億円も盗みは盗みですから。神さまの前には、『すべての犯した罪をお赦しださい!』と告白しました日に、赦されている確信はだれにも負けないものがありますが、このままで済ませていいのかが、罪多き私の悩みであります。

 

 

 

 さて、神社は賽銭、お寺はお布施ですが、教会は「献金」と言います。牧師になりましてから、「牧師指定献金」を頂くことがあります。おもに匿名で、『必要に当ててください!』と言うものです。1989年1月のことでしたが、6万円ほどの献金が、高名な某牧師さんから、書留で送られてきたことがあります。

 どの献金も尊いのですが、その時の献金は、『もったいなくて頂くことはできない!』と思ったのです。それは、岡山県の長島愛生園にあるキリスト教会の兄弟姉妹からの、私宛のものだったからです。ある刊行物に掲載された、私に関する記事を読まれての厚意だと、添えられた手紙に記されてありました。

 この教会は、ハンセン氏病に罹病して、ふるさとや家族から捨てられた人たちが、イエスさまと出会って、救われ、望みを主につないで生き始めた方々によって出来上がった群れなのです。腎臓を兄のために移植をしたという話を聞かれたみなさんが感動されて、100円、200円と献金してくださったものだったのです。

 『兄弟は苦しみを分け合うために生まれる(箴言1717節)』

 この聖書のみことばに励まされて、主に押し出されてした行為に過ぎなかったのですが、ハンセン氏病で苦しんできた愛兄姉には、大きな励ましだったことを知って、ただ感謝させて頂いたのです。賽銭泥棒で、お菓子の万引き常習犯の罪人ですから、お受けする資格のない私に対してでした。

 『献金は、信者さんたちの命、血の代償なのだ!』と思って、感謝して生きて来た私にとって、その長島教会の愛兄姉の献金は、万金に値しました。そういった、数多くの愛兄姉のいのちが、これまで、私と私の家族を養ってきてくださったのです。長島の愛兄姉からの40年ほど前の《深い愛》を思い出して、ただただ感謝でいっぱいです。

 家内の病状報告が、〈献金の要求〉だと誤解されたことが、これまであって、そう誤解する方のために、家内のことに触れるのを、極力避けているのですが、人の心の思いの深い奥は知り得ませんので、それでも躓きとなるものは避けなければなりません。そう心に決めている梅の開花の知らせが聞こえてくる今日日です。

(梅の花と瀬戸内海に浮かぶ長島)

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