如何ともし難いこと

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 最近は、手紙を書かなくなってしまっているのですが、何か足りなさを覚えます。今は、[ e-mail ]という便利な通信手段がほとんどになってしまい、電子活字では伝わらない、心情のこもった肉筆の手紙が懐かしく感じてしまいます。

 クリスチャンの政治家で、総理大臣を務められた、大平正芳首相の書かれた手紙を読む機会が最近ありました。恩師が著された本の寄贈へのお礼なのです。明治末に、香川県和田村(現在の観音寺市です)で生まれ、尋常高等小学校で教えを受けた、稲田先生から回顧の書をいただいたお礼の手紙なのです。

謹啓、時下、愈々御清健に渉らせられ、慶賀の至りに存じます。偖て、本日は、貴著『あした葉』御恵投に預り、誠に難有、厚く厚くお礼申し上げます。日頃は御無沙汰ばかりで全く汗顔の外なく存じていますのに、お忘れもなく御芳誼を頂き、感激の他ございません。ちょうど明後三十日より九日間北米中南米方面に出向きますので、機中絶好の読物を得ていささか心が躍っております。何れ読後改めて御礼申上げる所存でありますが、不取敢思わざる御芳情に接した悦びをお伝えいたします。

先は要々御礼まで。御令室様によろしく御鳳声下さいませ。     不一

四月弐八日夜
大平正芳拝
稲田伊之助先生  玉案下

 そして読後の感謝の手紙です。

前略先般御恵投頂きました『あした葉』、偶々過般外遊中五十八時間機中におりましたので、楽しく読ませて頂きました。私が驚きましたのは、稲田先生の御記憶の強さ、正確さです。私など幼少の頃の記憶が不確かであるのに比して、先生のそれの正確さには只々舌を巻く次第です。次に用語が平易、表現が簡明、これこそが正に達人だという感嘆の思いで一杯です。それよりも何よりも、先生の人間に対する思いやりや愛情の深さに痛く感銘するとともに、先生御自身の清涼な人生が崇高なものであることに羨望の思いさえ感じた次第です。本当に御恵投有難うございました。

どうかいつまでも御健勝で、われわれ後進を御指導下さいますようお祈りいたします。先は御厚礼まで。     不一

五月二十日早朝
大平正芳拝
稲田伊之助先生  玉案下

 社会的な立場を得ても、こんな思いで恩師に感謝をする大平首相の生き方、接し方に驚かされます。この方は、私の父と同じ、1910年3月に生まれておられ、明治、大正、戦時下の昭和、戦後の昭和を生きた方です。聖公会の信徒で、ご自分の信仰を言い表しておいででした。

 私も、多くの良き師に出会い、薫陶や行く道を教えていただいたのですが、恩師への感謝は、心の中では思ってはしましたが、大平首相のように言い表わすことはありませんでした。「玉案下(ぎょくあんか)」などと書いて、恩師に敬意を払いたかったなあ、と思いますが、もうすでに、恩師方は亡くなられておいでですから、如何(いかん)ともし難いことであります。

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