情報過多の時代に

 『実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。 (伝道者118節)』

 ふだんの生活で、どうしても必要なものや情報は、それほど多くはなさそうです。かえって情報の量の多さと、ことの煩雑さによって、生活を迷わせたり、狂わせてしまっているのではないでしょうか。知らないでいる方が良い「こと」や「物」って、溢れかえるほどに多くありそうです。

 ここ栃木のわが家のまわりに、5軒ほどのスーパー・マーケットがあります。毎日毎日、〈お買い得情報〉が、ネットで発信されているのです。店に出かけて買う以前に、もう家では思いが、目当ての品を買い始めてしまっている自分に驚かされているのです。それで、それに振り回されない様にしています。

 売り手の間には、熾烈な競争があるのです。もう、定休日などは年初めだけで、それさえない店もあります。ほぼ年中無休で、ハードの店や店機能も、ソフトな働く人の心も、疲れ切っているのを感じてしまいます。以前のロンドンの日曜日には、街の機能は全面的に休みに入っていて、静かだったのだそうです。礼拝を守り、霊的な信仰的なことが、市民の間で第一にされていたからです。

 子育てをした街で、開拓伝道の初期から、スーパーマーケットでパートを私はしていていました。ついには、一時期でしたが、店長にまで抜擢されてしまった私だったのです。そんな経歴のある私は、住み始めたこの街の店の過当競争、生き残りの競争の激しさを見て、あの当時に比べて、さらに強くなっているのを感じているのです。

 高校生の頃から、学校に内緒で、ミニ・スーパーで長女は働き、子どもたち全員が、その地方では有力な店で、学校休みで帰省中には、アルバイトをしていました。息子たちは、青果部や鮮魚部や惣菜部で、娘たちはレジで働いていました。

 もう店は彼らの働きを喜んでくれ、子どもたちをたのしく働かせてくれていたのです。新規にスーパーが開店すると、娘たちはアルバイトなのに、開店スタッフで派遣されていたほどでした。レジの不正や店員の人間関係など様々なことを見て触れて、ものすごく社会勉強をさせられた様です。

 この〈情報過多〉の問題ですが、情報量が多くて、疲れた社会が出来上がってしまっています。人と比べての知らないことへの不安と恐怖があるに違いありません。自分だけ知らないでいることは、恐怖なのでしょう。それで、必死に情報を集めるのです。でも知る量に応じて、人の心は落ち着かなくされているのではないでしょうか。

 正しく選び取ることと、正しい判断基準を持つ必要があります。自分の許容量の限界を超えてしまうと、心が爆発してしまいかねません。アップアップの状態を避けるために、一定で、不動の基準を決めて〈選び取り〉をしたらいいのです。意味のない「こと」や「物」を整理して、捨ててしまうのがいい様です。取捨選択の術を心得る方が、知識の増量よりも大切です。疲れたり、悲しまないためにです。

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