風雪七十年

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 生活や心の落ち着いた今から、厳しい試練や苦難を過ぎた日々を思う時、過去に困難な山坂を越え抜けてきたと言う意味で、人の半生を、「風雪五十年」と言ったりします。昔も、風と雪は、厳しく地に吹きつけ、人を難儀に置き続けてきたものです。

 風雪は自然を育み、人を磨くと言って、良い意味で風や雪を例えるのですが、今冬は、十年に一度の寒波襲来で、日本列島、とくに日本海側や北海道では、文明の利器の自動車や電車や飛行機などが用いられなくて、運休、停滞、停電、漏水、断水交通機関の運行停止など、大変な事態をもたらせていると、ニュースが伝えていました。

 「雪」は、ゆき、すすぐ、そそぐと読みます。会意文字で、「雨+彗(すすきなどの穂でつくったほうき、はく)」で作られていて、雨は履くことができませんが、雪は履くことができます。それで、万物を掃き清めるのが「雪」だと解説されてきています。漢字の読みで、恥を「すすぐ」で、雪の漢字を、そう呼んでいます。

 「風」は、『風の甲骨文字の

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で、神の使いの鳥である鳳凰(ほうおう)の形で表されていました。人々は、風のそよぎの中に大空を羽ばたく鳳凰の姿を見ていたのです。後に天には、龍が住むと考えられるようになりました。風は龍の姿をした神が起こすと考えるられようになり、その音を示す部分「凡」

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だけが残りました。そののち龍を含めた爬虫類の虫(き)という文字が加えられて、風の字が作られたのです。虫(き)は蟲(ちゅう)の常用漢字「虫(ちゅう)」と同じ形をしていますが、別の字であり、「むし」の意味ではありません。(「漢字の成り立ち」から)

 ある人が、長い時間をかけて、一仕事を成し終える様子を、「風雪五十年」と言う言い方をし、試練の年月を思い返して、「回顧録」を記すのです。風雪に耐えて、今の成果や成功があることを言います。まさか、こんなに生きられるとは、母は思わなかったのでしょうに、もう二年もすると、〈今年八十のおじいさん〉に、生き延びてなれそうです。発熱すると、暖かな身なりにしてくれて、近くの街医者ではなく、電車に乗って、隣駅の国立病院に連れていってくれました。

 無医村の山奥で死にかけて、私が担ぎ込まれたのが、国立病院だったからでしょう。退院し、普段の生活に戻れた国立病院の医療への信頼と感謝があっての通院でした。病院帰りには、駅前で、進駐軍・アメリカ製品の売られる菓子店で、チューウインガムやピーナッツやチョコレートを、決まって買ってくれたのです。

 兄弟姉妹のいない母子家庭で、養母に育てられて、淋しい子ども時代を過ごしたからでしょうか、三番目を死なせまいとする母の思いがあって、生き延びた自分を、今になっても感謝しているのです。「風雪七十年」を生き延び、いえ生かされて思うのは、親の愛でしょうか。母を生かした、神の愛に裏打ちされた子への愛に、「風雪の一月」に思ったことは大であります。

 昨年の春から夏、そして秋にかけて、観測史上みられなかったほどの水量をもたらす雨が降り、想像を超えた風速の風が吹き荒れてきました。年の暮れには、大雪に見舞われ、年明けの今、また寒波襲来、「荒天(こうてん)」に見舞われ、今夏の風雨、台風が心配ですが、主の憐れみを願いましょう。もう、週末の土曜日には「立春」です。

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