提言

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もっとひどいことをしてる大人がいるよ、

もっとひどいことをしてる先生もいるよ、

もっとひどいことをしてる政治家もいるよ、

もっとひどいことをしている実業家がいるよ、

もっとひどいことをしてる首長だっているよ、

反省の証で、

腹筋70回/1週間

腕立て50回/1週間

放課後にお店の掃き掃除/1ヶ月

回転寿司行き禁止/1

あの高校生を赦してあげてください!

                       一人の元高校生から

(”キリスト教クリップアート“ の「放蕩息子の帰還」です)

泣いていいんだよ

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 『彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。(詩篇9115)』、『あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。 1コリント1013節)』

 『64年に東京五輪の映像を見た時、どうしようもない感動が湧き上がり「泣きなさい 笑いなさい」のフレーズができたが、それ以外は未完成だった。メジャーデビューして77年に東京の中野サンプラザでコンサートをした。前売り券は16枚しか売れなかったが、60年、70年安保闘争の時代に、ヒッピーやマルクスボーイだった(社会への)問題意識を持っている人たちが当日集まり満員になった。その人たちの挫折感を、僕も受け入れていく中で「花」の歌詞が生まれた。社会に浸透したのは、彼らのスピリットを受け入れていたことが大きいと思う。』と、喜納昌吉が回顧しています。大ヒットした「花~すべての人の心に花を~」の作詞作曲した沖縄調の歌です。

川は流れてどこどこ行くの
人も流れてどこどこ行くの
そんな流れがつくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

涙流れてどこどこ行くの
愛も流れてどこどこ行くの
そんな流れをこの胸に
花として 花として 迎えてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の歌なのさ
こころのなかに こころのなかに 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

 日曜日の夕方、家内が、泣いていました。闘病四年、泣いたのです。やはりキツイこともあるのでしょうか。我慢強く生きてきていると思いますが、「主の義の右の手」で、自分の右の手が握られている確信がありながら、人として、つらいことがあって、泣かない人だったのに、泣いたのです。

 『泣かないの!』と言った後に、『泣いてもいいよ!』と彼女に、何もして上げられない私は言いました。病んだ時、怪我をした時、悩んだ時、傷ついた時に、いつもいてくれた母親は、すでにいないのですが、いつも見守り続けてくださる父なる神さまがいて、救い主イエスさまがいて、慰め主の聖霊が言ってくださる確信は揺るがないのですが、どんなに強くても、彼女にも泣きたい時があるのです。

 風呂場の更衣室の壁に、カレンダーが架けてありますが、ここに印字されていたのが、表記の「みことば」で、思いっきり泣きながら、その時に読んだそうです。つらさの中に共にいてくださるお方を、再確認したら、涙が止まり、痒みも止まったのだそうです。ヨブに似た様なに痒みとの闘いを通っているのです。

 もう45ヶ月、彼女は痒みと闘っています。これまで40回、キイトルーダー(抗腫瘍薬)と言う薬剤の点滴投与を、入院中から受けてきて、それを終えたのです。そうしたら、後遺症なのか副作用なのか、湿疹、オデキが身体中に出てきて、痒みと闘いが始まりました。風呂上がりに、私は、痒み止めを塗って上げています。

 きっと痒みが酷かったのでしょう。また長引いていることもあって辛かったのでしょう。そんな時って、思いっきり泣くといいのです。この「花」の歌の様に、泣く時も、笑う時も、人の一生にはあるからです。歩けなかったのに、散歩ができるまで回復してきました。その散歩中に出会った、散歩仲間との交流が生まれ、家に来て一緒に食事をする人もいます。訪ねて行く人もできました。図書館にも、市役所にも、街の駅にも、栃木駅のコンコースにあるピアノを弾きにも行けるのです。泣いた翌日には、デーケアーに行って、12人ほどの仲間と2時間ほど過ごして帰ってくると、『あー、楽しかった!」と、ニコニコと帰ってきました。

 それでも泣いたのです。もう泣かないそうです。泣いてもいいのに。