雨を謳う

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『「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。 また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」(申命記11章14~15節)』

 春を告げる花が、梅とか桜なのですが、気象にも春の到来をもたらす現象があります。秋の雨と春の雨は、パレスチナの農耕にとっては必要なものなのです。北原白秋が、「雨」を主題にした詩をいくつも書いています。この稀代の詩人の感性には驚かされてしまいます。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

 雨の降る音、溜まった雨の水たまりを歩くの音、おかあさんといっしょにうれしく歩く心の表現が、雨に濡れてる友人への優しさもあり、躍動的であるのは画期的だったのです。ぽつぽつ、ぱらぱら、しとしと、こんこん、びしょびしょ、ざあざあ、ざーっつなどと言った擬音があるようですが、さすが白秋の「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」は斬新で、動きがあって、さすがの詩人です。

1 雨がふります 雨がふる
  遊びに行きたし 傘はなし
  紅緒(べにお)の木履(かっこ)も 緒が切れた

2 雨がふります 雨がふる
  いやでもお家で遊びましょう
  千代紙折りましょう 疊みましょう

3 雨がふります 雨がふる
  けんけん小雉子(こきじ)が今啼いた
  小雉子も寒かろ 寂しかろ

4 雨がふります 雨がふる
  お人形寢かせど まだ止まぬ
  お線香花火も みな焚(た)いた

5 雨がふります 雨がふる
  昼もふるふる 夜もふる
  雨がふります 雨がふる

 これも、子どもの心があふれる様に表現されていて、水都の筑後柳川で育った白秋の感性は、抜きん出ているのです。童謡の作詞にも思いを向ける人でした。57歳で亡くなっていますが、まだ活躍できた詩人でした。

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村野四郎が、「粛々」という詩を読んでいます。

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この村田四郎は、東京都下府中市の出身で、大手の会社の責任を果たしつつ、詩作をした方です。小学一年生の音楽で、ドイツ語曲 “Biene”(SUMM SUMM SUMM)を、"ブンブンブン ハチガトブ"に翻訳したことで有名です。とくに「スポーツ詩」を作り、「鉄棒」があります。戦争が終わった年の秋の作詩です。「海ゆかば」の歌が聞こえてくるのが興味深いですね。

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まど・みちおにも「雨が降る日には」があります。

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「雨ふれば」を、選者だった北原白秋から高い評価を受けて、詩作を続けています。「ぞうさん」「ふしぎなポケット」の作詞で有名です。「国際アンゼルセン賞」をとり、106歳の長寿だった方でした。「雨がふる日には」は、その雨と雨降りに開いた傘との二者の会話です。こんな会話をしてみたいものです。

山村暮鳥の「驟雨の詩」です。

何だらう
あれは
さあさあと
竹やぶのあの音
雨だ
雨だ
おやもうやつてきた
ぽつぽつと大粒で
ああいい
ひさしぶりで
びつしより濡れる草木くさき
びつしよりぬれろ

ザアザア雨で、石鹸を持って庭に出て、シャワーをしていた私を、隣家のおばさんに見つかって、呆れ返って見られたのです。詩人は、そんなことをするのでしょうか。発達障害の奇怪な行動でしょうか。

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三好達治「大阿蘇」

雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々しょうしょうと降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中もたてがみも ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭々と降つてゐる
山は煙をあげてゐる
中岳の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜くさせんりはまのとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭々と降つてゐる

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室生犀星の「雨の詩」です。

雨は愛のやうなものだ
それがひもすがら降り注いでゐた
人はこの雨を悲しさうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しい降りやうを
そのまま人の心にうつしてゐた
人人の優秀なたましひ等は
悲しさうに少しつかれて
いつまでも永い間うち沈んでゐた
永い間雨をしみじみと眺めてゐた
雨は愛のやうなもの・・・・・・
 室生犀星は 、こんな言葉で、雨を謳ったのです。万物の命を支えて行く務めを託された雨をです。雨の日は、晴れの日とは違った趣があるのです。
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 ジーン・ケリーが歌った「雨に唄えば(Singin’ in the Rain)」が流行っていた時期がありました。映画化され、musical の傑作で、《よきアメリカ》の象徴の様な映画と歌でした。健全なアメリカの時代でした。
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I’m singing in the rain
Just singing in the rain
What a glorious feelin’
I’m happy again

僕は歌う 雨の中で
ただ歌う 雨の中で
なんて素敵な気分
幸せがこみあげる

I’m laughing at clouds
So dark up above
The sun’s in my heart
And I’m ready for love

雲を見て笑ってる
頭上の暗い雲を
太陽は僕の心にあるのさ
愛する準備はできてる

Let the stormy clouds chase
Everyone from the place
Come on with the rain
I’ve a smile on my face

嵐の雲よついて来い
みんなここへ来い
雨も来ればいい
僕はずっと笑顔さ

I walk down the lane
With a happy refrain
Just singin’,
Singin’ in the rain

僕は通りを歩く
幸せをかみしめて
ただ歌いながら
雨の中 歌いながら

Dancin’ in the rain
Dee-ah dee-ah dee-ah
Dee-ah dee-ah dee-ah
I’m happy again!
I’m singin’ and dancin’ in the rain!

雨の中 踊りながら
また幸せがこみあげる
歌い踊る 雨の中を!

 聖書のホセア書に、 『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」 (ホセア6章3節)』とあります。雨を待ち望む強い思いが記されてあります。「後の雨」は、パレスチナの地では、12月から、2月に降るのだそうです。今冬、ここ北関東平野では雨が少ないのですが、自然界では祝福の雨への待望が感じられます。
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