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先週、上の娘とFace timeをしていて、「祖先root/background」の話になりました。伯母(家内の姉)から、色々と聞き出したのだそうです。自分と血の繋がりのある父祖たちの足跡を追おうとしているのです。何百年も前に、数千年前に、必ず父祖や母祖がいて、どんな生活をし、何を思いながら生きていたかに、想いを馳せるのは、確かに「浪漫」があります。
漁や猟や農作物など、食べることだけしか考えていなかったとは考えられません。憎しみや赦しや心配や恐れや感謝や喜び、恋や愛だってあったに違いありません。文字で書き残せなかった思いを想像してみただけで、自分の思いを考えながら、逞しく想像するのもいいものです。
遠い自分のお爺ちゃんやお婆ちゃんが、どんな人だったのか、知りたいものですが、考古学者や歴史学者たちが、名付けた「縄文人」や「弥生人」は、自分がそんな括りの中で呼ばれるなどと考えてしなかったことでしょう。けっこう母系社会で、お婆ちゃんが家や、部落をやり繰りしていたのではないかな、と思うのです。お爺ちゃんを立てながら、実力者はお婆ちゃんだったのでしょう。
お爺ちゃんは、狩や猟で、疲れ果てて、神経も身体もすり減らしてしまって、短命なのに比べて、どっしりして受け身で生きてきたご婦人たちの方は、長生きだったに違いありません。この街だって、お婆さんたちばかりが元気です。おじいさんたちは、公園の隅のベンチに座り込んで、何かショボショボと思い出話や、自慢話をしている様に見受けます。そんな中に入りたくありませんので、チラッと見て素通りの私です。
きっと孫世代は、『家で1番の実力者、わが家の幹事長はお婆ちゃん!』と思っているに違いありません。縄文時代だって、新石器時代だって、そうだったろうと想像してしまいます。
『きっとわがお爺ちゃんは、渡来人だったに違いない!』、『南方から渡ってきたお婆ちゃんと出会って一緒になったに違いない!』と想像しているのです。百済あたりから、済州島や五島列島を経て九州か山陰に辿り着いたお婆ちゃんの祖先の末裔なのだろうと思うのです。少々エキゾチックな南方系のお爺ちゃんに魅せられて、一緒になったのです。その子孫が、母で、イルクーツクあたりから渡り住んでいた大陸人の末裔の父との間で、この自分が生まれて、今北関東の下野国、栃木に住んでいるのかな、って想像しています。
将来のこと、世界のこと、神の国のことも考えつつ、晩御飯のおかずのことも、どこに散歩しようかと考えています。もちろん新型コロナのことも、家族のことも考えています。ですから、わが先祖たちは、原っぱに寝転がって、浮かんでる雲がパンにしか見えなかったとは思えません。もっと崇高な思想をしていたに違いないのです。子孫の繁栄や平安を願っていたことでしょう。
もう一つの可能性は、イスラエルの「失われた十部族」が、大陸を東に進んできて、島伝いに舟で、大陸からこの列島にやって来て、住み着いたと言う件です。現代のユダヤ人たちも、『日本からもシオンへの帰還者があってもいいのだが?』と思っている人がいるそうです。『自分は、どの部族に属しているのかな?』と思うと、聖書の中に、自分のroot がある様な気がして、浪漫と信仰が駆り立てられます。
娘は、自分の祖先が、北方民族だったかも知れないと聞き出したそうです。北から南から、大陸から、さまざまな道筋で、この日本列島に住み着いて、文化を築いて来たのでしょう。私たち日本人は、単一民族だと誇ったのですが、実際は、雑婚して来たのでしょう。ある表情は、南方系だったり、北方系だったりですから。
(高松塚壁画、百済人、三内丸山遺跡の復元図です)
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