仕事以上のこと

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『人はなぜ働くのか?』と言う人生上の命題があります。その理由は、一つは「愛されること」、二つ目は「褒められること」、三つ目は「人の役にたつこと」、四つ目は「人から必要とされること」だと言われています。

 これらは、仕事を持つことで与えられることですが、人の「幸福感」を満足させてくれる様です。ですから幸せに生きるためには、一つは、仕事が必要不可欠であるとのことです。でも、誰かを愛すること、誰かに愛される必要を私たちは、仕事以外に持つ必要があります。

 上智大学で、「死の哲学」を、長く講じておられた、先年、お亡くなりになったアルフォンス・デーケンさんが、「人が持つ3つの特質」ということで、次に三点を取り上げておられました。          

① 考えること                         ② 選択すること                        ③ 愛すること

 どういう事を言おうとしておられるのかを考えてみました。私が人間であるのは、「考える」からなのだということでしょうか。いつも私は考えているのですが、空腹時には、食べ物のこと、ちょと寂しくなると、過去や子供たちや孫たちのことに思いを馳せます。事件が起きますと、なぜこういったことが起きたのだろうか、結果はどんな影響になるのだろうか、関係者の気持ちなどを考えるのです。

 いろんな情報が錯綜していますから、正しい目と思いで判断をして、正しく判断する必要があります。やはり人には、「愛」が不可欠なのでしょう。本来人間は利己的ですが、その利己心を正しく収めて、思いを他者に向ける必要があります。

 有名な話に、「隣人愛」を題材にしたものがあります。

 『しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカの福音書102937節)』

 結論は、人の必要に思いを向け、物を与え、時間を費やし、犠牲を払ってです。最後の人は、仕事の途上で足を止めたのです。仕事を犠牲にしてまでも、「あなたも行っておなじようにしなさい。」と言う勧めです。現代社会は、そうしてくれる人が必要なのではないでしょうか。

(もう咲き出してるでしょうか「ニッコウキスゲ」です)

 

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