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「聖餐」のあり方について、ルター派、メランヒトン派、カルヴァン派、ツヴィングリ派の間で、激しい神学論争がありました。それを終わらせるために、フリードリッヒ三世が、二人の人を選任し、「信仰問答書」を作らせます。
ウルジーヌスとオレビアーヌスの二人が、共同作業で、カルヴァンやブリンガーなどの「教理問答」を参考にして、共同作業で、あくまでも「聖書」を基盤に書き上げています。そして1563年に、出版されたのが、「Heidelberger Katechismus/ハイデルベルク信仰問答」でした。
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」
答 わたしがわたし自身のものではなく、身も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。
また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、わたしを守ってくださいます。実に万事がわたしの益となるように働くのです。
そうしてまた、御自身の聖霊によってわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。』
まず、「生きるにも死ぬにも」と問いかけています。私たちは、生きる様にと祝福されて生まれてきています。でも、生きるだけではなく、やがて必ず訪れる「死ぬとき」にも、私たちは細心の注意をする様に、ここで促しているのです。
生きるにしろ、死ぬにしろ、私たちに必要なのは、「ただ一つの慰め」なのです。生きていくには、神が下さる「慰め」を必要としています。聖書の「慰め」は、激励や祝福や生きる力の目的や力の付与、さらに「支え」などを意味しています。第三位格の「聖霊」は、慰め主でもあります。
私たちは、いつでも「死」と対峙しながら生きています。死の恐れを、だれもが知っていて生きているのです。台風接近の海水浴中に、引いていく波に連れて行かれそうになっった時、『死ぬ!』と思いました。ところが次の押してくる波にかつがれる様にして砂浜に上げられたことがありました。上階のガス爆発事故で、引火してもおかしくない状況で、家族全員がなんの被害も受けなかったのです。その時も死んでいてもおかしくない状況でした。死に直面し、恐れや不安に見舞われても、私たちを所有されるのは、国家でも会社でも団体でもなく、
『わたしがわたし自身のものではなく、身も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。』
救い主、助けぬし、慰め主が共にいてくださり、神の子である私は、この神の「所有」だということを確信するのです
また、生きるにも死ぬにも、キリストが私たちを御自分のものとして守ってくださいます。
『この方は御自分の尊い血をもって、わたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解き放ってくださいました。』とあります。
自分では、どうすることもできない隠れて犯した恥ずべき罪を、十字架の血で償い、誘惑者の手を縛り上げて、滅ぼせないほどに制限してくださって、生きてきました。「天路歴程」に出てくる旅の基督者を、獅子が吠えたけて飛びかかろうとしますが、獅子は鎖に繋がれて、脅すことはできても、爪や牙で触れられない様にしてありました。
『天にいます父の御旨でなければ、髪の毛一本も頭から落ちないほどにわたしを守って』くださるのです。
これが、生きるにも死ぬにもただ一つの慰めなのです。五十前後から、父なる神がお許しになられて、髪の毛が、一本一本と抜け落ちて、昔日の観なしです。頭は薄くなっても、「保護」されて今日も生かされています。
『実に万事がわたしの益となるように働くのです。』と続きます。
贖われ、赦され、義と聖と子とされた私に見舞う全てのこと、歓迎してもしなくても、その全てのことが、「有益」に導かれるのです。もう犯してしまった罪を、口で告白し、謝罪してあれば、記憶からも消し去ってくださるのです。顔にも体にも、古傷や皺やシミが残っていますが、灰汁で白くされる様に、十字架の血で、罪を赦してくださるのです。
『そうしてまた、御自身の聖霊によってわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。』と問1の答えを終えています。
出国時、厦門の税関で、滞在日数を超える「不法滞在」で、取調室に呼ばれました。その公安警察の取調官の前で、『今回は見逃し次回には処分!』とある「処分書」に sign しました。中学の頃から、何度も「始末書」を書いて提出してきた私は、中国公安にも提出したのです。負うべき科料を免除され、再入国を許可されたのです。聖霊は、無罪の証書に証印を押してくださり、天国の入国管理官が入国許可をくださることでしょう。それまでの日々を、喜んで生きる様に、祝福していてくださるのです。
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