ナウマンゾウの里で

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この写真は、大正時代の栃木市の目抜き通りを写したものです。市の北部に、寺尾という地域があり、そこにある鍋山に「石灰」が採掘されていたそうです。それを両毛線の栃木駅に運ぶために「鍋山人車鉄道」が敷かれていました。

 この軌道が、この写真の右に見えます。大正時代に撮影されたものです。人も乗ったそうで、人力だったのですが、後に蒸気機関車が使われています。去年でしたか、星野遺跡に行くために、市の「ふれあいバス寺尾線」に乗って出掛けた地でした。

 並行して道路があるので、ちょっと何だろうと考えていたことがありましたが、軌道があったことを知って納得したのです。この鍋山ですが、石灰の採掘会社があって、驚くべき物が発掘されたそうです。それを伝える記事があります。

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 『平成1年,栃木県栃木市鍋山町の吉澤石灰工業株式会社大叶鉱山三峰地区の裂罅 堆積物中より、「ゾウ化石」が採集された.ほとんどの骨は方解石の結晶に包まれていた.プレパレー ションの結果,10点ほどの部分骨を得た.多くの骨は不完全で部位の同定に止まる.臼歯のエナ メル環にはナウマンゾウのHolotypeのような明瞭な菱形歯突起(loxodontplica)はない.  共産した小型哺乳類はAnourosorex属やShikamainosorex属など絶滅種を含み,絶滅率は50% 越えない.最小個体の数は2頭である.既知の標本の中では最も小さい雌と判定した.

 そこでもナウマンゾウの骨や歯の化石が見つかったのです。長野の野尻湖、北海道の幕別、山梨市の相川などで発見されていますが、ここ栃木県にも住んでいたのを知って、旧石器の時代が身近に感じられています。小動物ならともかく、大きなナウマンゾウも、猟で捕らえて、食料とした様です。

 男体山や筑波山や富士山が見られて、人もナウマンゾウもいて、この自然の中で、さまざまな営みを繰り返して今があるのですね。人は、木の実などの採取生活だけではなく、麦や米などの穀類や芋などを栽培し、貯蔵し、計画的に生きてきたのではないでしょうか。

 『そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。(創世記323節)』と、エデンの園を追われたアダムは、土を耕して、食物を得る様になっていたと記されてあるからです。人は、耕す様にされているのでしょう。

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 今、アパートのベランダで、家内が種を蒔いたミニトマト、茗荷、紫蘇が育っています。ナスもインゲンも育てたいのだそうですが、場所が手狭で、どうも無理です。こうなると、家庭菜園があったらいいなと思うのです。裏庭に畑のある家に越して、土を耕す人になってみたい願いが、フツフツと湧き上がってきます。

 子育て中に住んでいた街で、ナスやもろこしや落花生やスイカまで育てたことがありました。宣教師が植えたジャガイモを、留守中に、子どもたちと収穫して、けっきょく、ほとんどをわが家で食べてしまったこともありました。芋掘りって楽しいのです。もう一度、畑のやれる家に引っ越しできるでしょうか。ナウマンゾウの狩はできなくても、野菜栽培は、見様見真似でできそうです。

(軌道の古写真、ナウマンゾウと歯、ミニトマトです)

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