カタカナ再考

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 ある記事を読んでいましたら、カタカナ語を使う理由が、語られていました。その要点は、〈深刻さの軽減〉だと言うのです。事態が厳粛で、深刻なため、その衝撃を緩めるための配慮なのでしょうか、それとも無策を覆い隠すための誤魔化しなのか、最近、文字でも音声でも、カタカナ語の使われ方が多過ぎます。

 自分だけなのかと思いましたら、同年輩の多くの方、さらには若い方たちも、同じ様な印象を持っておられるのです。すぐにピンとこない。辞書を引くにも spell がどうなのかも分かりません。引いてもいくつか意味があって、どれだかが分かりません。

 もうかなり以前になりますが、台湾の教会を訪問させていただいた時に、『お話の中で、カタカナ語をなるべく使わないでいただきたいのですが。』と、日本語教育を受けられた年配の牧師さんに言われたのです。お受けになった英語教育で学んだことと、カタカナ語とつながらないからです。

 日本語になってしまった外来語は、元の言葉から独歩きをしてしまって、発音も意味でさえも曖昧になっていますから、英語を学んだ方には、極めて難しいのだそうです。韓国語も、日本語と同じで、言葉の中に、〈朝鮮語訛り〉の英語が使われているのが聞こえてきます。それに韓国で使われる朝鮮語には、日本語が多く入り込んでいるのです。それは日本統治の影響かと思われますが。

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 外来語をカタカナで表記しますが、「片仮名」であって、漢字を日本語で読むために作られた仮名でした。後に、私用に男性が用い、女性も使う様になったと言われています。一度買ったことがある「六法全書」は、漢字と片仮名で書かれていて、平仮名を使わないのは、法律条項に権威を持たせるためだったのでしょうか。

 この様に、漢字を崩して、カタカナやひらがなを作り出す日本人の創作術には驚かされます。英語だって、日本語化してしまうのは驚きで、アメリカ人が驚いていました。漢字も平仮名も片仮名も、日本語を表記するには欠かせません。英単語も漫画やイラストだって使ってしまう時代です。

 そう、「パンデミック “ pandemic “ 」は、夥しい人が感染して死んだ疫病のことで、コロナや黒死病などのことを言います。また「ジェノサイド ” genocide “ 」は、「大量虐殺」と辞書にあります。どちらも、人を恐怖させる出来事ですが、カタカナで読むと、無学の私には、お菓子の名前の様なのです。実におかしなことです。どうしても深刻さや厳粛さが伝わってこないではありませんか。

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