25歳の若者が、大胆な発言をしました。1966年3月のことです。そう言ったのは、” The Beatles “ のジョン・レノンでした。
『キリスト教は逝っちゃうだろうね。議論の余地はないね。僕は正しいし、僕が正しい事は証明されるさ。今やビートルズはイエスより人気がある。ロックン・ロールとキリスト教、どちらが先に逝っちゃうかはわからないけどね。イエスは、まぁイケてたんじゃない?弟子たちはバカで凡人だった。僕に言わせれば、ヤツらがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたのさ!(ロンドンイブニング・スタンダード紙)』
1960年、” Liverpool(リヴァプール)” で活動を開始し、世界中の若者を歓喜させた若者たち四人の Rock group の chief でした。やがて、仲違いがおこり、1970年には解散してしまいます。大胆と言うよりは、随分と高慢なことを言ったものです。これって若者の言質(げんち)としてはよくあることです。後になって、その発言は言い過ぎたことを、彼が認めています。
彼は、1980年末に、ニューヨークで、暴漢によって射殺されてしまいます。演奏活動を始めて20年、40歳での死でした。確かに有名になりましたが、そのわりには幸せ薄い人生だったのではないでしょうか。あのキリスト発言と射殺事件とは結びつける必要はありません。だれもが死ぬからです。
言い知れない「悲しみ」があって、豊かな生活や、有名になっても、華やかそうに見えても、人の心の中から消えることがなさそうです。私は、青年期に、このBeatles に、全く関心がありませんでした。Rock music も好きではなかったのです。華やかさや激しさやにこやかさの背後に、何かが隠れていそうで気になったのです。隠せられない「悲しさ」に違いありません。それもあって、あの様にキリストを誹謗したのではないでしょうか。
『彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ書53章3節)』
生きるって、楽しいことや喜ばしいこと、お祝いしたい様なことがある反面、「悲しみ」の方が遥かに多そうです。大人になるにつれ、父や母の中に、それらが隠されているのが分かったのです。戦時下に生を受け、物のない時代に育ち、病み、痛み、何度も手術を受け、苦しんだ日を数えた方が遥かに多い自分でもあります。
私生児として旅の途中で家畜の傍で生まれ、死者を包む布で産着を着せられ、権力者に追われ、片田舎で育ち、大工を生業とする養父に育てられ、自らも大工として生き始め、養父なき後は母や弟妹の世話をした、そんな過去を持たれ、「悲しさ」を知っておられる方が、私を、死と恐れと刑罰とから救い出してくださったのです。
『わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。(詩篇22章1節、マルコ15章34節)』
ただ、十字架につかれ死なれる直前に、そう言われました。救われる人の罪のために、《罪となられた神の御子》と父との間にあり続けた交わりが、突然断たれたことが分かっての叫びでした。罪とされ、汚れたイエスさまを、聖である父なる神は直視できなかったのです。その「悲しみ」があっての十字架なのです。
時代と場所の違いはありますが、若い日に、この「悲しみの人」と出会ったのです。「キリスト」と称えられ、33年半の短い生涯で、私の罪の身代わりに十字架で死んでくださり、だれも経験したことのない復活をされ、今や父なる神の右の座に、生きて着座されている「救い主」なのです。「悲しみ」を知っていてくださる「理解者」、ご自分が、人として悲しまれたので、悲しむ人が理解できるのでしょう。そんな私のための「激励者」、「同行者」、やがて執り成してくださる「弁護者」なのです。
自分の「悲しみ」の分を抱えながらも、「悲しむ人々」の間にありながら、それに押しつぶされたりしないで、自分に定められた日を生きています。どんな星の下に生まれたとしても、悲しみの現実に押し潰されないで生き抜いた母がいました。14で出会った神の御子を信じ続け、夫のために、産み落とした四人の子どもたちのために、祈り続けた母でした。
実は救い主が誕生された時に、天には溢れる様な賛美が満ち溢れていました。凱旋の将、万軍の王を、御使たちは宇宙を震わせるほどに崇め、讃えたのです。十字架上で贖罪の業を終えられ、死から蘇られた時には、さらなる賛美がありました。今も、天には賛美が溢れています。母も賛美した人でした。イエスさまは、ジョン・レノンの言葉に代表される様に、誹謗されたり中傷されたり、悪口雑言を言われて悲しむことはありません。そういう人のご自分への不理解を悲しまれたのです、罪に翻弄され続ける人をご覧になって、今も「悲しむキリスト」なのです。
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