TOYOTA

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 応用工学を学んだ人の思考というのは、社会科学を学んだ人とは違うかも知れません。その工学の学びを、実社会でも活かして研究を継続し、論文を書き、その業績は表彰され、工学博士号も取得した方が、自動車事故を起こしました。

 同じ様な研究者たちが、自動車を製造開発するために研究をし続けています。工学の世界でも、自動車の世界は花形の部門で、Nicolas-Joseph Cugnot が最初の車を作った時から、今では、無人運転ができ、空を飛ぶこともできるほどの機能を持つ車まで出現し、その精度は、さらに高度化しています。

 世界で最高で、最多の車を送り出してきた会社が製造した車、その車の性性を評価して、安全に運転できると結論して購入し、運転してきた工学博士が、『私の過失ではなく、車に欠陥があって事故が起きた!』と、事故後の裁判の弁明陳述をしています。応用工学を学んだ人の弁としてはおかしな結論です。

 いろいろな会社の車に乗ってきて、今は車を持たない私は、乗りたかった車もありましたし、名のある欧州車も、中国製の車も運転したことも、乗せていただいたこともあります。そんな所有歴と運転歴からしますと、その TOYOTA 製の車は抜群に良い車だったと思っています。

 数学、とくに幾何学が好きで、機械いじりをしては家中の機械を分解していたほどでしたが、その世界では生きることなく、今を迎えていますが、それでもただ感情的に物事に応答するだけではなく、工学的に、物理的に物事を見る目は、まだありそうです。

 そもそも機械を操作する機敏性が衰え、操作性の鈍化を知っているのに、加齢が原因であると認めず、鉄の塊の車を動かして、事故を起こし、車のせいにしてしまうのは、博士号を返上しなくてはならないのではないでしょうか。何よりも、二人の人の命を奪い、何人もの方に傷を負わせているのに、自己の責任を感じていないのが、不思議なのです。

 生きた人間を扱わないで、命のない物質に触れ続けた結果の人間観、生命観を持ち続け、社会の道義の外にいるのは、もっともなのかも知れません。ところが、車を製造販売した責任者は、この事故に、次の様に語っておいでです。

 『自分たちが製造したクルマが関わった事故により、大切な命とご遺族の方々の幸せな日常までもが一瞬で失われたという事実から決して目を背けることなく、こうした悲しい事故がなくなるよう、今後とも安全で安心なクルマの開発に全身全霊をかけて取り組んでまいります。

 トヨタは、重大な事故や事案などの発生時、当局からの要請の他、お客様からのお申し出に対し、きちんと車両の技術面を調査するための仕組みをすでに運用しております。今後もしっかり対応してまいりたいと思います。

 これからも皆様に安心してお乗りいただきたいとの思いも含め、クルマ社会に関わる全ての皆様と一緒になり、安全で安心に暮らすことができるクルマ社会の実現に向けて、引き続きあらゆる努力を続けてまいります。(朝日新聞)』とです。

 工学を学んだ者が自己弁護に終始し、学びをこの社会に形をもって貢献してきた自動車会社とは、これほど違いがあっていいのでしょうか。

(TOYOTAの原点・豊田佐吉の織機のイラストです)

 

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