努力

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1916年に開催予定の第6回オリンピックベルリン大会は、第一次世界大戦の戦果拡大のために中止されました。さらに、第12回東京大会は、1940に開催を予定していましたが、第二次世界大戦が、ヨーロッパやアジアにまで広がったために、やむなく中止され、続く、1944年のロンドン大会も中止されてしまいました。

このたびの第32回東京大会は、2020年の開催を準備していましたが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期になり、本年7月の開催を間近にしていますが、新コロナの感染の拡大で、中止の声が大きくなってきています。医療体制が盤石であるなら、対処できますが、万全の医療提供が危ぶまれている昨今の状況で、開催はいかがなものかと思わざるを得ません。

スポーツ選手にとっては、オリンピックに参加できるのは、最高に栄誉ある機会ですが、コロナ騒動でそれを失うのは可哀想だと思いますが、オリンピック関係者だけではありません。同じ世代の学生も働いているみなさんだって、忍んでいる今、同じ状況下にあるのです。

さらにオリンピック大会を開催する国にとっては、その経済効果は、莫大なものがあるのだそうです。1964年の大会は、戦後20年近く経った時で、あらゆる面で日本が復興した様子を、世界に示すことができたのは、二十歳ほどの私にとっても、「誇り」を感じさせてもらったのを、昨日のように覚えています。

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「金銭愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。(伝道者の書5章10節)」

今回は「金銭」や「誇り」にためにではなく、更なる世界的な拡大にならないために、「自重」するにが一番大切なことのように感じてなりません。インドは爆発的な拡大を見せ、ブラジルもアメリカも、まだまだ相当数の感染者があります。経済効果よりも大切なことがあります。

近代オリンピックの開催を進めたクーベルタンは、軍人にはならず、教育学を学んだ方でした。彼は、『オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる!』と考えていたそうです。さらに、『人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること!』とも言っています。

是が非でも開催に漕ぎ着けいた努力ではなく、真に「世界平和」をもたらすには、踏みとどまって、現況をしっかり判断して、現実に、しっかり目を止めに思いを集中する「努力」が必要とされる時期なのではないかと思うのです。開催のための「努力」してきたことも、諦めるための「努力」も、同じ「努力」になります。

(共同通信社と息子の撮影の「オリンピック・スタジアム」の姿です)

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