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昨夜、次男から送信されてきた「Super moon」の映像です。なんと神秘的ではないでしょうか。太陽の光を受けて輝く月、地球が影になっている様子は、絵にも言われないほど「皆既月蝕」は美しいではありませんか。
天空に浮いている月も、太陽も、地球も、だれが創造し、だれが支えているのでしょうか。ここ北関東では、雲が遮って見ることが叶いませんでした。でも写真を見て、圧倒されてしまいました。
こんなに美しい天体を、人の欲で汚したくありません。そっと眺めて満足していたいものです。
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1978年頃だった思いますが、「かぐや姫」が歌った、「おまえが大きくなった時」と言う歌がありました。
おまえが大きくなった時 あの青い空に
白い紙飛行機が 夢を運ぶだろうか
おまえが大きくなった時 あの枯れた大地に
咲いた名もない花が 命を語るだろうか
ごらん あの街を あかりが揺れてる
おまえのあたたかい この手を握りしめれば
ああ 聞こえる ふるさとのうた
おまえが大きくなった時 このビルの谷間に
やさしい唄が 流れているだろうか
おまえが大きくなった時 この灰色の窓辺に
沈む夕陽が やすらぎをくれるだろうか
ごらん あの街を あかりが揺れてる
おまえのあたたかい この手を握りしめれば
ああ 聞こえる ふるさとのうた
おまえが大きくなった時 この小さな胸に
確かな喜びが 育っていくだろうか
おまえが大きくなった時 この手のひらに
愛する心が 通い合うだろうか
この歌詞の中には、「親心」が歌われていて、子の将来への祝福を歌ったのでしょう。『這えば立て、立てば歩めの親心!』で、両親に期待されて、私たちは大きくなったのです。ところが、世界史の中に登場する人たちの中に、片親だったり、両親を幼くして亡くしたり、どうしようもない事情で捨てられたりした人が、けっこういるのです。世界の歴史に大きな影響力与えた人に、そういた事例は少なくないと言われています。
子どもが健全に成長するために、《両親のいること》、しかもしっかりと《親業を果たすこと》が、必要であると、児童心理学者は言います。その欠損家庭で育った子は、精神的だけではなく経済的にも社会的にも、厳しい中を成長していかざるを得ません。
一人の同級生が、自分の幼い日を語ってくれたことがありました。叔父さんたちも兵学校や陸軍大学を終えていて、お父さんは職業軍人だったのです。彼のお父さんは、中国大陸で終戦を迎えたのですが、大隊長などは、どさくさに紛れて飛行機で帰国してしまったのです。彼のお父さんは、残務整理を命じられ、中国の内陸部に残ったのだそうです。結局、部下を帰国させると言う約束を取り付けて、お父上は自害をしてしまいます。
戦後、九州の母方の里で、彼は育って、お父さんが残した軍帽をかぶって、チャンバラ遊びをして過ごしたんだと言っていました。意志の強い、キリッとした表情で、空手をやっていました。きっと日本が軍国主義を続けていたら、彼もまたお父さんの道に進んでいたのではないでしょうか。
でも彼は青年期に、アメリカからの婦人宣教師との出会いで、信仰的な感化を受けています。結婚式に呼ばれ、呼んだ友人ですが、その後没交渉になってしまいました。立派にお姉さんと彼を、お母さんは育てたのでしょう、男っぷりの好い男でした。往々にして、家庭に恵まれない子は、精神的な不足や欲求不満や不安があって、権力への意志を目覚めさせ、世界変革のようなことをするのだそうです(ポール・トウルニエ著「苦悩」から)。
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そう言った背景を持つ人として、モーセ、ジュリアス・シーザー、マホメット、ナポレオン、スターリンなどの名が、「苦悩」の中で、取り挙げられています。確かに不足や欠陥などが、人をあることに駆り立てることがあるかも知れません。エジプトの王女にナイル川から拾われ、王宮で育ったモーセが生きた一生は、正常ではありませんでした。でも、イスラエル民族を、奴隷の家から連れ出す、解放者としての役割を担って、神と同胞に仕えたのです。
「こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。 (出エジプト2章11節)」
同胞を顧みる心を沸き上がらせたのは、モーセの父祖の神、アブラハム・イサク・ヤコブの神なのです。アブラハムが、40歳になった時を、「おとなになったとき」と記しています。虐げられている同胞を助けようとして、殺人を犯してしまいます。その後の40年を荒野で過ごし、80歳になった時に、民族を滅亡から救い出す救出者の任務を果たし始めるのです。それをし終えたのは120歳になっていました。
私にも同胞への思いがあります。でも一つ間違えると、モーセの様に、その思いが強くなり過ぎて、罪を犯しかねません。感情だけではなく、「分別」が必要です。きっと、「大人になる」とは、その分別を持ち、正しく判断をすることなのでしょう。同胞も、隣国も、同じアジア圏も、いえ全世界が、「コロナ禍」の窮状の中にあります。自国のことばかりに汲々として、他者、他国を顧みない傾向が強いのです。今は、世界大の正しい隣人愛が求められている時代に違いありません。
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